出版社内容情報
それは1968年東大医学部から始まった
トホホでおちゃめ、まっすぐで熱い生き方
ワハハ先生の言葉に励まされ支えられた子育て。ご近所にこんな小児科医がいてくれたらと何度も思った。そんなあなたに贈る、ワハハ先生誕生の物語。
1968年東大医学部。東大闘争の序章となったインターン制度との闘いから、森永ヒ素ミルク事件・水俣との出会い。町医者としてのスタート、そして障害者運動へ。 麻雀と演劇に明け暮れていた医学生は、こうして闘う小児科医となった。
はじめに
I 一九六〇年春・進路
上京 12
東大入学 17
ぼくらのアイドル「こまどり姉妹」 22
デモより麻雀 27
『資本論』より「ガラスの動物園」 32
演説と同情と演劇と 42
II 一九六七年初春・激動
卒業試験ボイコット 50
「医局講座制」を告発 55
ストライキ突入 61
ああ、「反革命分子」 67
くやし涙 73
とうとう委員長に 79
無期停学 85
III 一九六七年秋・闘争
町医者への道 94
ホームレスの患者さんたち 100
病気とつきあっていく術を学ぶ 106
大量処分 113
東大闘争のきっかけ 122
燃えあがった六日間 129
終息に向かうなかで 136
IV 一九七〇年春・出会い
森永ミルク中毒の教訓 152
企業と癒着する医者 158
一万一七七八名への責任 165
お母さんたちの後悔と自責 171
ぼくにとっての「歴史的な一日」 179
鍼をたずさえ三里塚 186
大規模な公害「水俣病」 194
医学の悪用がおこなわれるとき 204
V 一九七三年秋・誕生
残念で
トホホでおちゃめ、まっすぐで熱い生き方
ぼくは、第二次世界大戦のまっ最中に生まれたのです。そして、六ヶ月後には日本も戦争に突入したのでした。
軍医である父と軍国の母・である母とのあいだに生まれたひとり息子であるぼくは、ほっておけば右翼的な大人になる運命だったのでしょうが、時代の波はぼくを少しちがう人間にしてくれました。
小学校に入学したのは一九四七年ですが、その年は戦後民主教育が正式にスタートしたといってよい年で、先生たちは平和、人権、平等といったことの大切さを生徒たちに一生懸命伝えようとしていました。戦後日本の平和は、日本が戦争中、アジアの人たちにたいへんな被害を与えたことの反省がないままに作られた虚妄であったといえるかもしれませんが、多くの国民が平和を維持しようとがんばっていたのは確かだと思います。そんななかで、先生たちもがんばり、先生たちの労働組合である日本教職員組合は活発に闘っていましたから、ぼくも無意識のうちに影響を受けていたのでしょう。
高校に入ると、数学の時間なのにフランス革命について熱っぽく語り、その結果、生徒たちがみな「ラ・マルセイェーズ」をフランス語で歌えるようになってしまう
内容説明
それは1968年東大・医学部から始まった。トホホでおちゃめ、まっすぐで熱い生き方。ワハハ先生の言葉に励まされ支えられた子育て。ご近所に、こんな小児科医がいてくれたらと何度も思った。そんなあなたに贈るワハハ先生誕生の物語。
目次
1 一九六〇年春・進路(上京;東大入学 ほか)
2 一九六七年初春・激動(卒業試験ボイコット;「医局講座制」を告発 ほか)
3 一九六七年秋・闘争(町医者への道;ホームレスの患者さんたち ほか)
4 一九七〇年春・出会い(公害被害者との出会い;森永ミルク中毒の教訓 ほか)
5 一九七三年秋・誕生(残念ですが閉院します;ボーナスはジョニ黒 ほか)
著者等紹介
山田真[ヤマダマコト]
八王子中央診療所所長。「障害児を普通学校へ全国連絡会」世話人。『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』編集代表
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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