内容説明
京都の町を走る京阪電車の扉が静かに閉まる。無人の駅にひとり降りたつ美しい若者―彼こそ、かの光源氏の孫君。何かが彼にささやいている、彼の求めるものが、何世紀もの長きにわたって探し求めてきた「隠された庭園」が、この地にある、と。しかし―ハンガリーの想像力が“日本”と出会うとき。
著者等紹介
ラースロー,クラスナホルカイ[ラースロー,クラスナホルカイ][L´aszl´o,Krasznahorkai]
ハンガリーの小説家。1954年、ハンガリー南東部の町ジュラに生まれる。出版社勤務を経て1983年から作家活動を展開。2000年に半年間、また2005年にも、国際交流基金招聘フェローとして京都に滞在した
早稲田みか[ワセダミカ]
国際基督教大学卒業、一橋大学大学院修了。大阪外国語大学教授。専攻はハンガリー語学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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hiroizm
20
読書会仲間と共同制作のポッドキャスト課題本のため再読。現代京都を彷徨いながら伝統文化から生物学、地質学、無限を巡る問題まで思考の飛躍楽しい随想文学。再読にあたりアマゾンで買おうとしたら1万円超の高値ついていてびっくり。色々調べたらスーザン・ソンタグが「ゴーゴリーとメルヴィルに並び立つハンガリーの黙示録の巨匠」と絶賛、マン・ブッカー国際賞など有名な文学賞も受賞してる実は大物作家。この本も英語等に翻訳されあちらの書評も概ね好評だし、これまでに2回国際交流基金で来日し(続く)2024/05/17
hiroizm
20
ノーベル文学賞候補に挙げられる作家と聞いて読書。 京都を巡る虚実混在の随想文学。寺社建築や日本庭園を巡るだけかなと思いきや、「源氏の孫君」というキャラクターの設定、ヒノキを切り出す職人の技法からヒノキの生態、和紙の製法、庭石から地質学、仏教の世界観からカントールの集合論などへ飛躍する展開が面白かった。また京阪電鉄の駅の現代の情景描写がまたいい味。現代東京首都圏郊外新興住宅街育ちの自分には京都ってどっちかというと異郷感あるので、ラースローさんの視点の方に「ですよね〜」感強し。現代作家らしい知性を感じた。2021/01/30
きゅー
13
京阪電車を降りて人気のない京都の町をさまよう源氏の孫君。彼は何かを探しているようだが、それが何かしばらく読者にはわからない。そして彼はとある寂れた寺にたどり着く。舞台は現代であるのに、そこに流れている空気はいつの時代とも言えない。京都の裏路地の雰囲気、崩おれかけた大きな門の描写などほんとうに素晴らしい。ヨーロッパの作家が描く京都の物語としては出色の出来では。一人寂しげに佇む源氏の孫君の様子と鄙びた風景とのコントラストも冴える。ストーリーはあって無いようなもの。風のまにまに頁を繰るのみ。2016/07/08
タカラ~ム
11
著者はハンガリーを代表する現代文学作家なのだそうだ。そんな作家が、半年間暮らした京都に魅了され、京都を題材として書いた小説が本書である。ラースローという作家の長く書き連ねる文体は、一見すると冗長であるように見えて、実際に読んでみると文体のもつリズムからなのか、読みにくさは感じない。著者の作品は、本書が唯一の翻訳である。この独特な文体のリズムが他の作品でも同様なのか知りたいのだが、松籟社さんは他の作品も翻訳してくれないものか。2016/08/07
rinakko
8
再読。“百番目の隠された庭園”に心惹かれた源氏の孫君が、隠密裏に抜け出し京阪電車で探索の旅へ。京都は南東の小路や寺を歩きさ迷う…のだが、実際の主人公はその寺と幻の庭ともいえる不思議な小説である。人が絶えたようにひっそり閑とした寺や路地、脱力感に襲われ1杯の水を求める弱々しい源氏の孫君の執念。寺を守護する本尊は、なぜ哀しげな眼差しでお顔をそむけた小さな仏像なのか…。こちらも京阪電車を使って君を捜索している供のものたちが、どんどんへべれけになっていくのが可笑しかった。訳者あとがきで紹介されている作品も面白そう2015/09/04