内容説明
“知っていますか、「拓北農兵隊」のこと”日本の敗戦を挟んで凍てる大地に集団疎開の戦災者たちが、苦難の開拓に果敢に挑んだ歴史の証言!
目次
1章 拓北農兵隊とは(『知られざる拓北農兵隊の記録』によせて;知られざる拓北農兵隊―横浜大空襲の体験から;拓北農兵隊(農民団)町村別受入地・戸数一覧)
2章 ドキュメント・拓北農兵隊(白雲を眺めて;戦後北海道の開拓;開拓者の娘としての一三年 ほか)
3章 北海道各地に入植した人々が語る拓北農兵隊(世田ヶ谷部落;拓北農兵隊手稲分隊の入植の経過と苦悩;「一四歳で拓北農兵隊の一員として」曙の地に入植 ほか)
著者等紹介
鵜澤希伊子[ウザワキイコ]
1930年11月、東京都世田谷区で誕生。1945年4月13日、山の手大空襲で牛込区(現新宿区)揚場町で罹災、その後都内を転々として何度も罹災、家族はばらばら、無一物となる。父が目黒区から拓北農兵隊に応募、敗戦後の9月4日、上野をチャーター列車で出発、北海道河西郡川西村に入植。学業のため一時帰京したが、1949年4月、母の死で北海道に戻り家業を助ける。その後小学校助教諭に。複複式指導の小学校教育を始める。その間通信教育や講習を受け、小学校教諭資格を取る。入植後17年で父の開墾作業が完成、検査に合格して自分の土地となったのを機に離農を企てる。1963年3月、父とともに帰京。63年4月より私立平和学園小学校(茅ケ崎市)に勤務。その後川崎市、東京都の教員となり、主に障碍児学級を担当する。88年3月、57歳で退職。職を捨て、家族を捨て、国を捨て、自分からすべての束縛を取り払おうと88年9月にフィンランドへ単身渡航。「日本紹介」をしながらフィンランド語と文化を学ぶ。97年1月、父の介護のため帰国。帰国後は妹の鵜澤良江と父の介護をしつつ、全日本年金者組合都本部調布支部で、年金引き下げ違憲訴訟の原告の一員として活動。ほかに調布飛行場問題を考える会、戦争は嫌だ調布市民の会、原発ゼロ調布行動などの市民運動に参加する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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Rieko Ito
kzm