環境権の過程

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  • サイズ B6判/ページ数 448p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784874156834
  • NDC分類 918.68
  • Cコード C0095

内容説明

明快な主張を掲げ、「環境への権利」を世に問うた豊前環境権訴訟。「裁判第一準備書面」(初出)を含め、その経緯を記した文章を集成。環境問題の急迫した今こそ読まれるべき、松下竜一・草の根思想の出発点。

目次

1 タスケテクダサイ(タスケテクダサイ;ひらかれた眼―仁保事件と私)
2 暗闇の思想を掲げて(落日の海;周防灘総合開発反対のための私的勉強ノート;人間的心情の復権を―計算可能な開発利益論に抗して;地域エゴ、涙もろさを起点に;計算が示すこの害―豊前発電所に反対する;暗闇の思想;海を売りたい漁民たち―周防灘開発のかげで;豊前火力反対運動の中の環境権;武器としての環境権―“与りもの”を汚さぬため;暗闇への志向;われら、しろうと!)
3 「アハハハ…敗けた、敗けた」(豊前環境権裁判第一準備書面;われらが暗闇の思想―豊前平野の開発を拒否する心情;放たれたランソの矢―標的・環境権裁判に向かって;文明への懐疑;海の環境権;豊前海戦裁判―被告冒頭陳述書;市民の証言を積み上げる―九州・豊前環境権裁判;『草の根通信』のこと―気恥ずかしき機関誌;〈抵抗権〉は人民の見果てぬ夢か;平和と人権―環境権;明神海岸七六年夏;かくもコケにされて;法廷に挑む「環境権」の争点;ドン・キホーテ的奮戦記―豊前環境権裁判からの教訓;光と闇;新たなる環境権論議へ;豊前火力反対-〇.〇〇一%による持続;有罪となることを恐れず―なぜ国が環境を護らないのか)
4 『草の根通信』は続く(無力なはぐれ者たちの「わが闘争」;嫌われたる者として;魚(テネシー)と島(豊前)を結ぶ環境権裁判
裁判所の市民から―傍聴者にもわかる裁判を)

著者等紹介

松下竜一[マツシタリュウイチ]
1937年2月15日、中津市に生まれる。10月、肺炎の高熱のため右目失明、多発性肺嚢胞症を発症。1956年3月、中津北高卒業。5月、進学を諦め、豆腐屋を継ぐ。1970年7月9日、豆腐屋をやめ、作家宣言。1972年7月、中津の自然を守る会発足。梶原得三郎と出会う。1973年3月、環境権訴訟をすすめる会結成。1979年4月、豊前海戦裁判で、罰金刑。8月、豊前市中央公民館で「豊前人民法廷」。翌日豊前環境権裁判、門前払い判決。控訴。1981年3月、控訴審、却下判決。上告。1982年1月、環境権訴訟をすすめる会解散。6月、『ルイズ、父に貰いし名は』で講談社ノンフィクション賞受賞。1985年12月、環境権訴訟、最高裁が却下判決。2003年6月、築城基地前座込み169回に参加。6月、福岡市で講演の後、小脳出血で倒れる。2004年6月17日、中津市の村上記念病院で、多発性肺嚢胞症による出血性ショックにより死去。67歳

新木安利[アラキヤストシ]
1949年、福岡県椎田町(現・築上町)生まれ。北九州大学文学部英文科卒業。現在、築上町図書館勤務。75年から『草の根通信』の発送手伝い

梶原得三郎[カジワラトクサブロウ]
1937年、大分県本耶馬渓町(現・中津市)生まれ。大分県立中津南高等学校卒業。住友金属小倉工場勤務。73年、環境権訴訟をすすめる会結成。豊前環境権訴訟原告。74年、豊前火力建設阻止行動で豊前海戦裁判被告。75年からさかな屋となり、92年、東九州女子短期大学学生寮の管理人となる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。