内容説明
「たまでん」の資料はあるようでない、ないようであるとも言える。人の伝承、メモによって現場のあり様から、ありし日の佇まいが知らされる。「たまでん」には、こんな事もあったのか、とご理解いただけると嬉しい。
目次
渋谷の街を後にして
たまでんの心臓大橋工場
たまでんの最後の8形式
三軒茶屋から246を西へ
桜新町から用賀へ旧道を行く
坂を下って二子玉川へ
プールゆき電車のこと
砧線たまでんの中の鉄道線
たまでん最後の日
著者等紹介
関田克孝[セキタカツタカ]
建設コンサルタント。関田事務所経営
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
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えすてい
6
今からでは想像できないほど、のどかな玉電の沿線風景。世田谷区でも渋谷に近いところは車に溢れていたが、ちょっと「郊外」へ出ると、そこは田園地帯。全く私にはすっと頭に入っていかない。玉電時代の車両が生え抜きが204だけ「電車とバスの博物館」に展示されたもの以外は、江ノ電譲渡後里返しした1両だけというのは寂しい気もする。公民館として使われているらしいが、「玉電」を記憶するためにも、末永く愛されてほしいものである。2020/02/14
rbyawa
0
b068、玉電というのは今も東京近郊に残る路面電車の東急世田谷線(と路線だけなら東急田園都市線)のかつての姿、玉川電気鉄道とその後の東急玉川線と呼ばれた時代を通しての愛称。で、表紙にいるのは東急時代のペコちゃん、エラいインパクトのせいか概ね玉電の顔的扱いですが無理もない。正直、この路線や鉄道会社の変遷は周辺の私鉄を呼んでいても出てくるので波乱の存在として認識していたんですが、そうか、長く路線沿線は静かなものだったんだなぁと、不思議な気持ちに。路面電車を抱えた街というのは、他より少し遅く時代が流れるのかな。2011/06/24
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