内容説明
戦争、飢饉、災害、性暴力―。災いを語ることも、それを聴くことも、難しい。社会に聴かれぬ人々がさらに透明化されてもなお、その声を聴くための視点を、文学・歴史学・哲学・演劇学・社会学など複数の領域から多角的に提示する。
目次
1 [論考]「私」をめぐる問い―第一世代の戦争体験を書く第三世代の作家、フランソワ・ヌーデルマンとアンヌ・ベレスト
2 [エッセイ]静かにささやく声が聞こえた
3 [論考]言葉と辞書の時代性―大槻文彦『言海』を読む
4 [エッセイ]翻訳者の視点から―沈黙を見る 行間を読む
5 [論考]証言における真理と倫理の交差
6 [エッセイ]建築計画学から考える
7 [論考]『シャイヨの狂女』再読のアルケオロジー
8 [エッセイ]一つの史料から
9 [論考]遊びとして押し寄せる子どもの声―支援者のゆらぎと「余白の時間」
10 [公開シンポジウム「声の気配(けはい)を聴く」レスポンス]声を聴く私たちと、その複数性について―アフガニスタン記念碑(ヴィクトリア)、帝国戦争博物館(ロンドン)
11 届けられた声―シンポジウム来場者アンケートから
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
キャラ
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ただそばにいる。言いっぱなしでも、聞きっぱなしでもなんでもいい。相手の実存の一部を請け負う。請け負っているつもりで、実存を与えてもらっていることもある。声は、音として表出したものだけはない。言葉にならない息遣いとそれに反応する気遣いから聴くは始まっている。見ることで読む。読むことで、気配を追う。静かな人は、自分の声がうるさい人であるかもしれない。本書の「声を聴くこと」とは、声なき声含め、行間の気配に、漠然とした共時的な出来事に共に身をやつすこと。境界線は揺らいではいけない。共感はするが、理解はない。 2026/02/25




