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内容説明
1970年東京・六本木。堀内誠一が編集長以上の権限を持つ日本初のアートディレクター制の雑誌として生まれた特別なアンアン。
目次
新雑誌のため六本木にビルを買う
ミュータント、堀内誠一
ウイークリー・ファッションとパンチ・メンズモード
写真とファッション誌
三冊の写真論
ファッション誌とアートディレクター
「ボクにもよくわからないんですヨ」
いよいよ、創刊!
三宅一生、高田賢三の登場
ファミリーヌード第一号〔ほか〕
著者等紹介
椎根和[シイネヤマト]
編集者・作家。1942年福島県生まれ。早稲田大学第二商学部卒業後、「婦人生活」編集者に。その後、平凡出版(現マガジンハウス)で「平凡パンチ」「アンアン」の編集に携わり、講談社開発室、「日刊ゲンダイ」創刊編集長を経て、以後、「ポパイ」チーフディレクター、「オリーブ」創刊編集長、「週刊平凡」編集長、「Hanako」「Comicアレ!」「LIKE A POOL」「リラックス」の創刊編集長を歴任。関わった雑誌は十一誌に及ぶ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
fwhd8325
58
あの頃の平凡出版は、時代をリードしていたと思います。アンアンはその先駆的な役割を持っていたのでしょう。編集長だった椎根さん自らの書き下ろしということもあって、なかなか生々しい内容と感じました。残念ながら、私は、この雑誌に縁もなく、関わってきた方の中で思い入れの深い方もいないせいか、淡々と読んでしまいました。2023/06/18
阿部義彦
15
マガジンハウス文化の立役者で後にサブカル界での伝説の雑誌『relax』の創刊編集長を勤めた椎根和さんの書き下ろしによる『an・an』創刊の裏話満載の物語と初期のトンガってた時代の貴重な写真(全表紙カラー)と傑作グラビアを一挙掲載。その裏には堀内誠一と言う天才アートディレクターがいました。49号で辞めますが、写真家やスタイリストを選ぶセンス、そして写真の割り付けや手書きによるイラスト、フォント等の頭抜けた美意識こそが初期an・anにどんな雑誌とも違う特別感を与えていました。それはある種の『狂気』でした。2023/05/06
mittsko
4
【書きかけ】創刊当初の『an・an』って、こんなにとんがってたんだ…(ΦωΦ) すごいな、文字通りの世界水準だったんだな、圧倒されてしまったよ こういう雑誌に触れあえた同時代の若者たちがうらやましい(でも、きっと今も、すごい表現がどこかで生れつづけているはず) ボクが認識したのは「普通の雑誌」(近田春夫の帯)に変化した後、だったんだなぁ…2023/09/19
onepei
2
堀内誠一の役割がよく分かった2023/07/30
Natsuhiko Shimanouchi
1
雑誌an.an創刊時はまだ9才の男の子だったので、こんな刺激的な雑誌があの頃作り出されていたとは全然知らなかった。天才的なアートディレクター堀内誠一の指揮のもと立木義浩、篠山紀信、沢渡朔など若き写真家達が作り出す世界。今野雄二が創刊時から編集に関わっていたことも知らなかった。49冊現物を見てみたい。2024/01/07