目次
第1章 宗教的なもの―個人的体験と私の宗教論
第2章 仏教と仏教学の現在
第3章 ムハンマドとキリスト教―イブン・イスハーク『預言者伝』を読む
第4章 善悪の彼岸としての宗教―ボンヘッファーに触れる試み
第5章 国家神道の創造―明治期の法令全書で探る
第6章 私の宗教
第7章 占いにハマる人たち―宗教より占いを選ぶということ
第8章 なぜ「宗教はアブナイ」と言われるのか―我々自身の宗教観の再考に向けて
第9章 日本語からみる日本人の精神性―英語との対照からみえること
第10章 心と体
第11章 インド古典舞踊に学ぶ―個人の体験より
第12章 異世界転生アニメにみられる日本人の死生観
第13章 存在としての宗教―シャーマニズムはいかにして日常となるか
著者等紹介
実松克義[サネマツカツヨシ]
立教大学名誉教授。現代研究会代表。1948年、佐賀県生まれ。日本大学文理学部地理学科卒。カンサス大学大学院で人類学・英語教授法を学ぶ。教育学修士。日本電気国際研修所講師、アテネフランセ講師を経て、1990年立教大学着任。専門は宗教人類学及び英語教育学。中米マヤ地域、南米アンデス地域、アマゾン地域において先住民族宗教文化のフィールドワークを行う。またボリビア・アマゾンにおいて古代文明の発掘調査を行う。2013年定年退職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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佐藤一臣
3
新現代研究会に参加し始めたので、その前段階の現代研究会の参加者が著者となった本を読んでみた。宗教的なものに対して、各人が様々な切り口から意見を述べている。宗教を特別で非日常的なものととらえるか、日常に散見されるものととらえるかで見方が違うが、それは縛られるか縛られないかと言い換えることもできる気がした。本質的なルールと表面的なルールがあるとすれば、本質に縛られると危ないけれど表面に縛られるくらいなら危険はない。占い、舞踊、アニメを題材にした宗教論はなかなか刺激に富んでいた2023/06/23