目次
第1章 東京急行電鉄鉄道線(東横線;目蒲線;池上線 ほか)
第2章 東京急行電鉄軌道線(玉川線;砧線;下高井戸線 ほか)
第3章 他社へ譲渡された東京急行電鉄の車両(日立電鉄;伊豆箱根登山鉄道大雄山線;福井鉄道南越線 ほか)
著者等紹介
ヒギンズ,ジェイ・ウォーリー[ヒギンズ,ジェイウォーリー] [Higgins,J.Wally]
1927(昭和2)年、合衆国ニュージャージー州生まれ。父が勤めていたリーハイバレー鉄道(ニューヨークとバッファローを結ぶ運炭鉄道)の沿線に生家があり、母と一緒に汽車を眺めたのが鉄道趣味の始まりだった。大学卒業後、アメリカ空軍に入隊。1956(昭和31)年、駐留米軍軍属として来日、1年の任期後約2か月間で全国を旅し、日本の鉄道にはまってしまう。1958(昭和33)年、再来日。それ以降、全国の鉄道を撮りに出かけるようになる。1962(昭和37)年からは帰国する友人の仕事を引き継ぎ、国鉄国際部の仕事を手伝うようになり、現在もJR東日本の国際事業本部顧問を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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えすてい
4
併用軌道があった時代の大井町線や、全盛期の玉電の社写真は東急の本でもあまり取り上げられなかったりする。ましてや玉電の最高傑作200形の大きな写真も非常にレアである。玉電では渋谷発車直後の上り坂や、今では外から見られない銀座線渋谷駅の写真もあれば、大橋車庫の出入庫の写真もある。砧線や下高井戸線(現世田谷線)にも足を延ばしている。玉電ボギー車は150形以外は中扉が高床で「連結二人乗り」になる前の事である。後に世田谷線に残った70形・80形もこの時代は戦中戦後の旧車体を維持していた。2022/07/06