出版社内容情報
単行本未収録の貴重なコラムを初めて集成!
「近代」の功罪を複眼的に見据えながら、欧・日の両文化の本質を、同時代の事象を、そして自らの来歴を清澄な視線で書き記す。単行本未収録の多数の貴重なコラムを初めて集成した、必携の一巻。
[解説]平川祐弘
[竹山道雄を読む]大石和欣
(都合により第3巻を最終配本に変更し、年譜・著作一覧を第3巻に収録します)
第?巻序 平川祐弘
第?部 心の軌跡
知られざるひとへの手紙/思い出/あしおと/磯/砧/亡き母を憶う/
寄寓/きずあと/樅の木と薔薇/主役としての近代/焼跡の審問官
第?部 死について
死について/ものの考え方について――演繹ではなく本質直観を
第?部 単行本未収録コラム集
自分の亡魂/むかしの合理主義/歴史と信仰の解明を/
ビルマから東パキスタンへ――二つの会議に参加して/
キリスト教への提言――説得力に欠けはしないか/
人権のため人権侵害/文化自由会議に出席して/片山敏彦さんのこと/
亡き三谷先生のこと/私の八月十五日/私の戦争文学/
明治百年と戦後二十年/突然の死――帰るべきところに帰る覚悟/
オランダ通信/甘い態度は捨てよ――大学の存亡かけ戦う時/
鎌倉・人工の浸食/めぐりあい/死ぬ前の支度/
新聞連載コラム
(『東京新聞』1961年、『読売新聞』夕刊1966?67年、『サンケイ新聞』1965?66年)
〈竹山道雄論〉
高橋英夫「理性のスケープ・ゴート」
本多秋五「肩越しに時代をみる」
本間長世「教育者としての竹山先生」
竹山 道雄[タケヤマミチオ]
竹山道雄(たけやま・みちお 1903-84)
1903?1984年。1920年旧制第一高等学校入学、1923年東京帝国大学文学部入学、1926年東京帝国大学卒業後、一高の講師となる。20代でベルリン、パリに計3年間留学、帰国後、一高の教授となる。1948年『ビルマの竪琴』(中央公論社)を刊行、毎日出版文化賞を受賞(以後、二度に渡り映画化される)。1950年一高廃止と共にその後身の東京大学教養学部の教授となるが、翌年には辞し、文筆に専念する。『新潮』『芸術新潮』『心』『自由』などを舞台に、「見て・感じて・考える」を根本姿勢とし、時代の風潮に流れない執筆活動を続ける。著書は『古都遍歴』『昭和の精神史』『まぼろしと真実』『剣と十字架』など、芸術論から時論、紀行文など幅広く、ニーチェ『ツァラトストラかく語りき』『善悪の彼岸』イプセン『人形の家』ゲーテ『若きヱルテルの悩み』など優れた翻訳も残す。1983年『竹山道雄著作集』全8巻刊行。
平川 祐弘[ヒラカワスケヒロ]
平川?弘(ひらかわ・すけひろ)
1931年東京生。比較文学比較文化。東京大学名誉教授。竹山道雄の女婿にあたる。著書に『和魂洋才の系譜』『西欧の衝撃と日本』『マッテオ・リッチ伝』『小泉八雲』(サントリー学芸賞)『ラフカディオ・ハーン――植民地化・キリスト教化・文明開化』(和辻哲郎文化賞)『天ハ自ラ助クルモノヲ助ク――中村正直と〈西国立志編〉』『アーサー・ウェイリー『源氏物語』の翻訳者』(エッセイスト・クラブ賞)『ダンテ『神曲』講義』『内と外からの夏目漱石』『竹山道雄と昭和の時代』など、訳書にダンテ『神曲』、ボッカッチョ『デカメロン』、マンゾーニ『いいなづけ』(読売文学賞)他多数。2016年より『平川.弘決定版著作集』全34巻(勉誠出版)刊行中。