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内容説明
名誉と屈辱、本能と理性、男らしさと女らしさ。太古から現代にいたるまで、人間は、このきわめて「人間的」な暴力とともにあった。いや、その歴史は、人間の歴史そのものなのだ。リングにあがった人類学者が描き出す暴力が孕むすべてのもの。
目次
1章 人間的な暴力
2章 理性の暴力
3章 殴り合うカラダ
4章 拳のシンボリズム
5章 殴り合いのゲーム化
6章 「殴り合い」は海を越えて
7章 一発逆転の拳
8章 名誉と不名誉
9章 殴り合いの快楽
10章 女性化する拳
著者等紹介
樫永真佐夫[カシナガマサオ]
1971年兵庫県生まれ。2001年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。専攻は文化人類学、東南アジア地域研究。現在、国立民族学博物館教授、総合研究大学院大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
tom
15
作者は文化人類学者。格闘技を愛する人でもあるらしい。この本は、殴り合い、あるいはボクシングについての文化誌という風情の本。ボクシングに関するエピソードというかウンチクがちりばめられていて、それはそれで面白い。例えば、ボクシングの舞台は、四角なのに、どうして「リング」というのか、などなど。でも、殴り合いがどうして好まれ、ギリシアの昔から、延々とつづいているのかは、結局のところ不明(中毒するらしいけれど)。2019/09/16
kenitirokikuti
10
ボクシング映画。映画『波止場』(1954)と『ロッキー』(1976)。ロッキーはボクシングのイメージを改めた▲「ピストン堀口」はニックネーム、「ユーリ海老原」はリングネーム。「拳四朗」は姓:拳、名:四朗という扱い▲手塚漫画には拳が多い。水木しげるはビンタ。日本の伝統では、こぶしは悪役。正義の味方は手刀や手の平、投げ、斬りなど。正義の味方がパンチするのは「太陽にほえろ」など刑事ドラマから。決め技がパンチなのはアンパンマンか▲北米にてマッチョさが中産階級男性の美徳になるのは19世紀末。JOJO第一部はマッチョ2019/11/06
imagine
9
あとがきの通り、ボクシングの文化史を書くつもりが冗舌になり、人類の暴力性の検証にまで構想が膨らんでいる。そのため、ボクシング史の非常にマニアックなデータと、文化人類学的な見地からの学術的な考察が濃密に共存している稀有な一冊。両者の融合点として印象に残ったのが9章。三島由紀夫が神輿を担いだ際に経験した恍惚。平和と安逸からは得られない、この「最適経験」が作り出す「フロー」の状態こそ、人類が己の存在価値を賭けて殴り合いを続けてきた理由に思えた。2020/01/17
の
5
人類学者がボクシングを題材に文化人類学を考察した本。近世以降の「ボクシングの歴史」に留まらず、原型となった古代ボクシングや中世のベアナックル・ボクシングまで壮大な「殴り合いの文化史」を語る中で、暴力に関する選手や観客の意味合いを探る。流血や後遺症、最悪の場合死に至る危険を孕みながらリングに立つのは、勝利が社会的な地位をもたらすためであり、現在でも成人儀式で痛みを伴う行為を受けることで社会の一員として認められる風習がある。健全・健康なスポーツ化を進めつつも、おそらく「体を張った努力」は容認されるだろう。2019/08/19
minami
3
ボクシングを中心に、人間にとって「殴る」とはどういう意味を持つ行為なのかを歴史的・文化的に紐解いた一冊。殴るとは人間的な行為である(手を使った動作はほとんどの獣にはできない)という出発点から、なるほどと膝を打った。古今東西の殴ることに関する膨大な量の蘊蓄が散りばめられた文章は、あちらこちらへと話題を変えるが、しかし妙に味があってグイグイと読ませる。面白かったです。2020/06/02