内容説明
「レディメイド」「肉体的なもの」「不定形」「脈動」「低さ」「水平性」「重力」「痕跡」…近代の「視」を土台から蝕むものたちを、フロイト、ラカン、バタイユらの理論を援用しながら開示する、待望の日本語全訳。
著者等紹介
クラウス,ロザリンド・E.[クラウス,ロザリンドE.] [Krauss,Rosalind E.]
1940年生。コロンビア大学教授。美術史・美術批評。1969年から1975年まで『アートフォーラム』誌の編集委員。1976年に『オクトーバー』誌を創刊し、現在まで同誌の編集委員
谷川渥[タニガワアツシ]
1948年生。美学者。東京大学大学院博士課程修了
小西信之[コニシノブユキ]
1960年生。美術評論。東京藝術大学大学院美術研究科修了。愛知県立芸術大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
内島菫
20
翻訳者の一人、小西信之氏の「訳者あとがき+」にもあったように、まず本書の形式が批評と文学の中間を行くようである作り、また、テーマに合わせて腹話術的な時間差ポリフォニーという演出も良かった。彼女の面白さは、論理ではなく論理的な面も含めた、自明性への突っ込み方にあるのではないだろうか。構造主義に限らず、行き止まりを掘り崩すには、外部からではなく内部から(内部に外在する位置から、あるいは、内部に偽装的に内在する位置から)行うというクラウスの発想は、すべての女性がそうであるように女性的である。2019/11/07
渡邊利道
5
グリーンバーグのモダニズム美術批評の「外側」を記述する試みとして、フロイト・ベンヤミン・ラカン・ジェイムソンの顰に倣って構造化した「場」を設定し、そこから抜け出るものとしてエルンスト、デュシャン、バタイユ、カイヨワ、ジャコメッティ、ポロックなどが召喚される。ラスキンを引用するエレガントな冒頭から、デュシャンと対立するピカソの「アニメーション」など、面白い論点がいっぱい。精神分析の図式はちょっとなあと思う部分と、このダイアグラムをうまく使う方法がまだあるんじゃなかろうかという背反する感想も持った。2019/08/15
moi
3
グリーンバーグの「脱肉体化された視覚」を仮想敵とした、クラウスによる「肉体的」な視覚という主張。「そして視点も同じように穴なのだ。厚みのある、粗野で、物質的な。」2020/11/02
yu-onore
0
もちろん理解は追いついていないし再読は必至なんだけど、何らかの示唆は得られたかも。精神分析を学びながら、ビートについての解像度を上げていく必要がある。というか、『視覚論』のクラウス論文はだいぶエッセンスを凝縮してたんだなって。一つの図式(還元としてのモダニズムのグラフ/「悪い場所」としての日本)を始めに提示した上で、そこから脱出しえたものとしての芸術に力点をおいて美術をアンソロジー的に語っていく点で『日本・現代・美術』と似てる部分はあるのかもしれない2021/03/10