出版社内容情報
ハンセン病者への偏見と差別があり、女性が医師になるのが困難であった大正時代に、ハンセン病者に尽くした女性医師。遺された日記を中心とした原資料を丹念にあたり、現地への取材を重ねた著者の集大成。「女性史、ハンセン病を研究されている方々に読んでほしいんのです」(著者)。
服部ケサは、1884年、福島県岩瀬郡須賀川村(現在の須賀川市)生まれ。1905年、東京女医学校に入学し、当時の医師制度が変更され、女性医師への道が限られるなか、1914年に医師免許取得。女医の就職先が少ないなか、三井慈善病院に看護師として勤務する。この病院で、看護師の三上千代と出会い、キリスト者となる。1917年、イギリス人女性宣教師コンウォール・リーと三上に乞われ、ハンセン病者が集落をつくっていた群馬県草津に向かい。翌年発足した聖バルナバ医院で医師として働く。1924年、持病の心臓病が悪化する中、三上とともに聖バルナバ医院を退職。新居を「鈴蘭医院」とするも、同年11月22日、心臓麻痺のため亡くなった。
1932年、聖バルナバ医院、鈴蘭医院の近くに、国立療養所栗生楽泉園が設立される。こうした服部の足跡を丹念にたどる。
内容説明
大正時代―難関を突破しても女性医師の働き口は少ない。看護婦として勤めた先での運命的な出会いは、癩といわれた病者への治療と伝道に、ケサを導いた。郷里・須賀川から遠く離れた湯之沢で、心臓に病を抱えながらも激務に臨んだその生涯を追う。
目次
1 草津高原(草津の高い空;「さびしい死」と「みじめな死」 ほか)
2 旅立ち(須賀川;山形 ほか)
3 出会い(東京女医学校;慈善病院 ほか)
4 集結湯の沢(労働共救会;光塩会 ほか)
5 野の花すずらん(聖バルナバ医院;死者のきよめ ほか)
著者等紹介
武田房子[タケダフサコ]
1949年、福島県白河市生まれ。女性史研究家。福島大学卒業後、教職に就く。のち退職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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