内容説明
明治期からモダニズムの時代を経て戦後の女剣劇まで、小芝居、女芝居、節劇、剣劇、宗教劇、連鎖劇など、これまであまり論じられなかったさまざまな演劇領域と役者をたどる。多くの観客を潤わせ、生涯の思い出にとどめられながら、今日では忘れ去られた演劇の記憶とは―。
目次
1 総論(近代演劇の「記憶遺産」―「今は用なき過ぎ去りしもの」)
2 逝きし世の演劇(猛優の時代―小芝居と大衆娯楽;女役者と小芝居の行く末―神田劇場時代の中村歌扇;琵琶湖とその周辺;宗教演劇の時代―「民衆演劇」の一側面)
3 モダニズムの躍動感(天勝というスペクタクル;踊る芸妓たち―ダンスカンパニー「河合ダンス」;連鎖劇とその変容―興行資料にみる大正期の映画と演劇の関係;節劇・剣劇・女剣劇―モダニズムの流れにみる)
4 回想の演劇(上方歌舞伎の追憶;演劇は忘れられる運命にある―戦後の演劇と劇場の変遷)
著者等紹介
神山彰[カミヤマアキラ]
明治大学文学部教授。専攻、近代日本演劇(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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rbyawa
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i101、剣劇や浪花節を利用した節劇、時々商業演劇としてまとめられていて、新劇という「本流」から見た邪劇として排除されてしまい、歴史としては語られなかったという全体的なテーマで私の世代ではなぜ新劇がそこまでの権威を持っているのかもわからなかったものの、昭和30年代の寺山修司と言われて納得、アングラ劇団もチープな自覚とともにならば悪くない。ただ、高級な演劇とやら以外の関係を無理に切り離されて忘れ去られ、猥雑さを失って本流も忘れられるという見事な悪循環。高尚なる演劇って結局なにを誤認させたかったかすら不明…。2018/11/13