内容説明
幕府の長であるために、天皇家を庇護する宿命を負った将軍たち。朝廷や有力守護との関係を丹念に分析し、室町時代特有の政治システムを明らかにする。
目次
日本史上最高の権力者と出来損ないの将軍
第1部 南北朝期の足利将軍家と北朝天皇家(足利尊氏・直義と北朝天皇家;足利義満と北朝天皇家)
第2部 足利義持と北朝天皇家(後円融天皇を無力化した義満;義持と「准摂関家」;北朝天皇家と「王家」の執事)
第3部 足利義教と北朝天皇家(義教と後小松上皇;義教と伏見宮家)
第4部 室町期公武関係の成立要因(南北朝内乱と足利将軍家;義詮が築いた公武関係の基調)
足利将軍家とは何だったのか
著者等紹介
石原比伊呂[イシハラヒイロ]
1976年生まれ。聖心女子大学文学部専任講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
さとうしん
16
足利将軍と北朝天皇との関係を見ていくことで、足利将軍が何を以て武家社会のトップに君臨できたのかということをまとめているのだが、議論そのものの面白さもさることながら、足利義満皇位簒奪説に付随して井沢元彦を取り上げるなど、一般読者の関心やイメージを意識した文章になっている点も面白い。また「力で支配する政権」を志向していなかったという足利将軍のあり方は、その足利将軍が輔弼した天皇という存在を考えるうえでも大きなヒントとなるのではないか。2018/01/08
keint
13
室町期の足利将軍家と北朝の関係について焦点を当てて解説している。知名度などでは尊氏、義満に劣る義詮、義持が北朝の公家社会との関係から見ると重要な役割を果たしており、のちの将軍の前例となったことが意外であった。(義詮、義持については更に興味を持った) 今まで南北朝時代は南朝側を中心に見ていったが、北朝側にも内部対立があったことや、朝廷や公家社会の儀礼などの理解を深めなければならないと実感した。 2020/08/16
ムカルナス
11
足利将軍と北朝天皇家・公家との交流を古文書の記録から紐解く。幕府としては南朝に対峙する北朝の皇位継承が確実に行われ万全な体制である必要があり直義の時代から手厚くバックアップしている。一方、当初は家臣も出入りしていた天皇・公家との交流は次第に足利将軍家のみとなる。源氏の嫡流でもない足利家にとっては権威を高める必要があり、また家臣にとっても南朝という外敵と戦うための一致団結できる旗印として足利家は必要だった。しかし南北朝が統一し幕府が安定すると、その必要性が薄れ室町幕府は崩壊していく。2020/12/14
MUNEKAZ
9
尊氏から義教期にかけての室町幕府の公武関係をまとめた一冊。幕府の正当性と権威の確保のために2代・義詮から本格化した北朝天皇への積極的な協力は、3代・義満で一気に役割が拡大し、続く義持・義教期にそれが整理され「準摂関家」としての家格が定着する。そして自らを摂関に擬することで得た足利家の権威は、有力守護たちにとっても内紛の調停者として歓迎される面があったとするのは面白い。読みやすい筆致で複雑な公武関係を説明している好著。2018/01/07
かわかみ
6
面白かった。北条得宗に反乱を起こし、北朝に与した足利氏は鎌倉政権の後継者であると主張して武家の統率に乗り出したが、天皇家の威光を身にまとう必要があった。そして武家の中で天皇と直結する地位を独占することで将軍の権威を樹立した。その中で足利義満はあたかも上皇のように振る舞ったが、あくまで北朝を輔弼する立場に変わりなく、義満が皇位・皇統を簒奪しようと企図したという見方には否定的である。また、義満と後継者の義持との間で足利氏の朝廷における立ち位置に大きな変化はないとする。貿易による財政への言及がなかったのは残念。2022/10/01
-
- 電子書籍
- 最上の外科医~Dr.鳴宮~【タテヨミ】…
-
- 和書
- ヒチてんごうの独り語り