原点としての恵那の子ども時代

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原点としての恵那の子ども時代

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  • サイズ A5判/ページ数 104p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784863331105
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0095

出版社内容情報

80年代に「予備校文化」がクローズアップされた時、その最前線にいた河合塾の名物講師である牧野剛さんが2016年5月に逝去する前に語った恵那の子ども時代をまとめたもの。予備校講師にとどまらないそのスケールの大きさで、まだまだやるべき多くのことがあったと惜しまれる反面、その全力疾走した充実の人生を多くの人が讃える著者の原点を垣間見ることができる。

恵那の「戦後民主主義教育」
大井宿として栄えた恵那
良寛さんの紙芝居
いつも腹をすかせていた―1950年代の恵那の暮らし
初めての自分の本『ノートルダムのせむし男』
小学校の空疎な「民主的」教師たち
教育とは間違うことに思いを馳せること
勉強を教えなかった野球部の古山先生
二宮金次郎を教えた西尾先生
東京オリンピックに出た同級生の笠木のこと
「黒子に徹しろ」といった親父
マツタケ狩りの魔力
成績優秀だった兄たち
子ども時代の淡い恋―都会から転校してきた少女
中学で初めてのバリケードを築く
中学三年生で迎えた六十年安保
恵那高で教師から民青にオルグされる
恵那高の火事から
二項対立的思考を越えて

牧野さんと「予備校文化」なるもの(青木和子)
牧野追懐記(茅嶋洋一)
断章 牧野剛の死に寄せて(菅 孝行)
編者あとがき(加藤万里)
2015年12月25日?2016年5月20日(佐藤孔美)
牧野剛 略歴・主な著書

牧野剛[マキノツヨシ]
牧野剛:1945年9月岐阜県恵那市に生まれる。1961年岐阜県立恵那高校に入学。1972年名古屋大学文学部卒業。1976年河合塾国語科講師となり、多くのことを提案、実現した。2016年5月享年70歳にて急逝。

加藤万里[カトウマリ]
加藤万里:牧野剛の妻。河合塾文化教育研究所所属。本書は牧野が語ったことを加藤が書き起こしたものが基となっている。

目次

原点としての恵那の子ども時代(恵那の「戦後民主主義教育」;大井宿として栄えた恵那;良寛さんの紙芝居;いつも腹をすかせていた―一九五〇年代の恵那の暮らし;初めての自分の本『ノートルダムのせむし男』 ほか)
牧野さんと「予備校文化」なるもの(青木和子)
牧野追懐記(茅嶋洋一)
断章 牧野剛の死に寄せて(菅孝行)

著者等紹介

牧野剛[マキノツヨシ]
1945年9月24日岐阜県恵那市にて生まれる。1961年4月岐阜県立恵那高校入学。1965年4月名古屋大学文学部入学。1972年3月名古屋大学文学部国史科卒業。養護学校教諭、高等学校非常勤講師などをする。1976年4月河合塾国語科講師として教壇に立つ。1980年4月河合塾ベーシッククラスを立ち上げる。2012年12月河合文化教育研究所特別研究員になる。2016年5月20日急逝。享年七十歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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