内容説明
キリスト教哲学者ヨゼフ・ピーパー(1904‐97)の主著『余暇と祝祭』を紹介するとともに、余暇の源泉としての祝祭の意義を考察する。ロシア革命やナチズムに象徴される労働管理社会から、ますます先鋭化する「労働世界」に直面している現代の人々が、真に解放されるための「余暇とはなにか」が問われている。1部ではピーパーの大学論や哲学に関する著作を通して、いかに自由学芸や教養が文化の基礎となるのか、さらに今日の生涯学習の意義を考察する。2部では『余暇と祝祭』を詳細に紹介し、祝祭を源泉として展開してきた余暇(レジャー)の本質を考え、「文化は宗教の受肉である」ことを明らかにした。3部ではわが国の神話や儀礼をはじめ和歌集や俳諧など日本文芸の様々な伝統を紐解きながら、祝祭や自然を崇めつつ結晶していく多様な文学表現を「文芸と宗教の一如の道」と捉え、そこに躍動している人々の祭りと遊びの豊かさに光をあてる。
目次
第1部 ヨゼフ・ピーパーの文化哲学(ヨゼフ・ピーパーの文化哲学(一九八三年)
大学とはなにか(一九五二年)―「アカデミック」概念をめぐって
哲学するとはどういうことか(一九五九年)
余暇(レジャー)と人間実存(1983年)
「ゆとり」について(1983年)
ヨゼフ・ピーパーと土居健郎の往復書簡)
第2部 ヨゼフ・ピーパー著『余暇と祝祭』詳解(地獄の標語「ARBEIT MACHAT FREI」;自由学芸教育の本質;西洋文化の基礎としての余暇(レジャー)
絶対化された労働(ワーク)
プロレタリア化および非プロレタリア化
余暇(レジャー)の本質
真の余暇(レジャー)を実現するために
西洋文芸の源泉“古代ギリシアの祝祭”)
第3部 「神憑り・物狂い」の祝祭の美学(日本の祝祭と狂言綺語;神代から続く祝祭都市“伊勢神宮”;自然・四季を愛でる“HAIKU”;貴族文化の京都 武家文化の江戸;本居宣長の国学・国文学の系譜;高天原への祝詞“伊勢神宮の大祓”)