内容説明
3・11以降急速に政治化するオタク、貧困にあえぐロスジェネ世代…、絶望の淵にたたされる今、高度電脳化世界の“人間”とは何か?を根源から問う。10年代本格批評の誕生。
目次
第1部 なぜ、いま筒井康隆が必要なのか(なぜ、いま筒井康隆が必要なのか;戦後史の中の筒井康隆―「武器としての笑い」と「楽器としての笑い」)
第2部 超虚構理論と虚構内存在(超虚構理論とフリードリヒ・フォン・シラー;虚構内存在の存在論;内宇宙の神話―“集合的無意識”から「文化的無意識」へ;感情移入の理論;機械化した良識―『朝のガスパール』から『断筆宣言』まで)
第3部 虚構内存在の切り拓く新たなる“生”の次元(虚構内存在の政治)
著者等紹介
藤田直哉[フジタナオヤ]
1983年、札幌生まれ。SF・文芸評論家。早稲田大学第一文学部(文芸専修)卒業。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻博士後期課程在学中。2008年「消失点、暗黒の塔―『暗黒の塔』第5部、6部、7部を検討する」で第3回日本SF評論賞・選考委員特別賞を受賞し、『SFマガジン』に掲載されてデビュー。その後、「トーキョーワンダーサイト本郷」の企画展「floating view“郊外”から生まれるアート」(2011年)に作家として参加した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
harass
47
レビュで気になり読み出す。初読の批評家の評論。筒井の作品やエッセイや対談はほとんど読んでいる自分には、筒井の凄みは十二分に知っているので、なにを今更と思いつつ読んでいった。さて、そこから著者は何が言いたいのかと、期待しつつ読んでいって、最終章。うーむ…… 大雑把な試論とはわかっているが、さほど感銘は感じない。個人的にネット界隈の問題に興味がないというのがあるので…… 評論ってなんだろうという根源的な疑問がグルグル回っている。筒井のブックガイドとしてなら優秀かもしれないが、作品を直接読めよという気持ちも。2017/02/28
サイバーパンツ
14
ハイパーリアル的な「超虚構理論」。それを前提とした、虚構を必要とせざるをえない我々の性「虚構内存在」。鋭い問題意識を、メタ化・パラ化し、笑いへと昇華する筒井康隆。本書の主な内容は、筒井康隆が生み出した「虚構内存在」という概念を中心として、上記のような筒井思想を紐解いていくというもの。私は本書を読んで、筒井康隆への認識が大きく変わった。本当、彼の頭の良さを甘く見ていた自分を、恥ずばかりだ。最後に、著者はこの筒井論を基に、現代を読み解こうとしているが、本書ではまだ触り程度なので、それはこれからに期待したい。2016/08/20
梟をめぐる読書
9
「一〇年代」を担う評論の書き手として最も期待している文芸評論家の、初となる単著。筒井康隆のデビューから「断筆宣言」に至るまでの期間における「虚構内存在」という概念の誕生と発展の経緯がうまく纏められている。一般に「虚構内存在」というテーマは『虚人たち』という一作に集約されているように思われがちだが、その前後の期間も含めてこれほどの拡がりを獲得できるものだったとは。ただし「断筆宣言」までを範囲とするだけでは「いま、なぜ筒井康隆なのか」という著者自身が設定した冒頭のテーマに応えきれていない気もした。2017/06/27
しんかい32
3
筒井作品にある時期から出てくる知的ジャーゴン、ぼくは筒井ってけっこうミーハーなんだなくらいの感じでしか受け止めていなかったのだが、同書はそれらの連関をきちんと追い、その裏に筒井の真摯な思想的苦闘と発展があることを明らかにしている。作中人物の死について、筒井がこんな発想にたどり着いていたなんて全く気付いてなかったぞ。2013/07/21
静かな生活
2
私見によるが「ゼロ年代」的なものの最後の息吹はこれだと思う。2014年あたりから「あの頃」の若い批評家たちは純粋な社会思想へと舵を切り「オタクとネット」は歴史の海へと消えていった…。その予感と虚構/オタク/ネットの価値を問うているが、どうだろう、何かを掴めているようでギリギリ掴み切れていないというか。ゼロ年代文脈を捨象したことには成功しているが、戦後SFに的を絞ることで読者層をある程度制限している。2020/05/18