内容説明
クリムトの樹木と花々、長田弘の「絆」の詩篇。
著者等紹介
長田弘[オサダヒロシ]
詩人。1939年福島市生まれ。1963年早稲田大学第一文学部卒業。1971‐72年、北米アイオワ大学国際創作プログラム客員詩人。毎日出版文化賞(1982)、桑原武夫学芸賞(1998)、講談社出版文化賞(2000)、詩歌文学館賞(2009)、三好達治賞(2010)などを受賞。詩集、エッセー、物語エッセー、対談集など、幅広い分野で活躍。絵本や子どもの本の翻訳書なども多数
クリムト,グスタフ[クリムト,グスタフ][Klimt,Gustav]
画家。1862年オーストリアのウィーンに生まれ、1918年死去。ウィーン世紀末美術の立役者。金色を多用した絵画が多いことから「黄金のクリムト」と言われ、華麗で装飾的な肖像画で知られる一方、生涯で50点あまりの風景画を残す(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
405
長田弘の詩2編とクリムトの絵で構成された詩集。長田の詩は亡き妻の瑞枝さんの思い出に心を込めて書かれたもの。最初の1篇がよりダイレクトにそれを詠い、後半の詩はより普遍化へ昇華されている。今の自分には心に沁みる。クリムトの絵は金色のそれではなく、すべて樹木の緑と花に彩られたものばかり。長田によれば、それは「めぐりくる季節の、死と再生の画家」だと。この詩集の主題もまさに「死と再生」にあるだろう。死は終わりではないと長田は言う。2024/02/25
❁かな❁
142
お気に入りさんの感想から手に取ってみました*長田弘さんの作品を読むのは3作目。今作は詩ふたつからなる一冊の作品集。死について優しく静かに語られていて、とても共感しました。そしてその言葉と一緒にクリムトの絵がたくさん掲載されていて素晴らしいです*クリムトと言えば代表作の接吻などの煌びやかな金のイメージでしたが草花も多数描かれていたんですね。絵を楽しみながら静かにゆっくり文章を堪能させてもらいました。「なくなった人は言う。どこにもいないのではない。どこにもゆかないのだ。いつも、ここにいる。」とても素敵な作品。2015/06/24
Hideto-S@仮想書店 月舟書房
112
『花を持って、会いにゆく』『人生は森のなかの一日』の二篇の詩と、グスタフ・クリムトの絵画。2009年に旅立った奥さまに捧げた静謐で美しい本です。長田弘氏にとってクリムトは〈死と再生の画家〉なのだそうです。人は死んでどこかに行くのではない。どこにも行かず、いつもここにいる。語らうことができる、いつでも。あとがきで長田氏が記した「親しい人の死は後にのこるものの胸に生の球根を遺す。喪によって、人が発見するのは絆だから」という言葉が胸をつきます。いつか、「人生は森のなかの一日のようだった」と言えたらいいな。2015/05/17
masa@レビューお休み中
111
嗚呼、何という心地よさなのだろうか。絵があって、詩があって、間があって…。心地よさと、優しさと、温もりがここにはある。言葉だけでは足らず、絵だけでも足らないときがある。もちろん、そこには人間の想像力を発揮することも可能なのだが、想像せずともそこに必要な言葉と絵があればいいということを実感させられる。クリムトの絵は派手で奇抜という印象があったが、ここにある絵は自然の情景を叙情的に描いたものばかりで絵の中の世界にすぐ入りこむことができる。死や人生や自然といった重いテーマを扱っているのに軽さすら感じるのだ。2016/11/03
chimako
95
長田弘さんは好きな詩人。『最初の質問』で胸の奥をつかまれて以来、いくつか詩集を読んでみた。これはとても贅沢な一冊。対になったような二編の詩とクリムトの風景画で醸し出される世界。生と死は隣り合わせにあって人と人とを分かつものではないのかも知れない。死んでから分かったことが生きた言葉であらわされる。森に余分なものはひとつもないように、人生にも余分なものはひとつもない。むだがない。そう言いきれる道を歩けるだろうか。沈黙は空気の言葉。長田さんの言葉に対する思い。読後、シンとした気持ちになった。2020/06/12