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内容説明
江戸から明治への転換期におこった“廃仏毀釈”という名の仏教弾圧。その暴挙は近代日本を貫いて太平洋戦争に導き、今もなお生きつづけているとする著者が、仏教徒としての自責と反省にもとづいて、この国の在り方を問い、平和国家への道を説く。
目次
序章 仏教国の仏教ぎらい
第1章 前史―廃仏毀釈への道
第2章 薩摩の一向宗弾圧と宮崎
第3章 廃仏毀釈―何が行われたのか(その一)
第4章 廃仏毀釈―何が行われたのか(その二)お寺を毀して神社を建てた宮崎県
第5章 仏教弾圧と国家神道の百年
著者等紹介
佐伯恵達[サエキエタツ]
1924年生まれ。高校・短大講師をへて現在各種学校講師。本願寺輔教、布教使、長昌寺住職
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
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kenitirokikuti
6
初版は1988年。第五章 仏教弾圧と国家神道の百年 、第三節 仏教弾圧の百年。明治5年、僧位僧官の廃止(対して神官は教導職に)。僧侶は還俗し苗字を持つ。僧侶は徴兵の義務を負うようになる(神職は官吏なので免除)。僧尼の托鉢を禁止(そういえば、乞食も関係あったな…)。明治6年、社寺内に小中学校を開くことを許可。明治22年、大日本国憲法発布。衆議院議員選挙法は、僧侶の被選挙権を認めず。のち、地方議員たるも禁止。ほか、住職の小学校訓導兼務を禁止。2018/02/04
那由田 忠
5
明治初めの神仏分離に始まった、仏教弾圧としての廃仏毀釈について鹿児島と宮崎県を中心に説明する。元々一向宗の弾圧として先行した薩摩では、島津成彬までは藩主が崇仏心が篤かった。しかし、次に後見役となった久光の策謀によって乱暴な仏教弾圧が行われる。その影響が隣地の飫肥など宮崎県に及んだという。著者は住職なのでこれに対する批判が厳しい。「弁財天」などが神道の神様ではないのに、神とつくものが次々と神社に仕立て上げられもした。神社は元々僧侶が建てたもので、鳥居も結婚式も雅楽も新嘗祭もみな仏教から来ているそうだ。2014/02/16
人生ゴルディアス
1
きちんと中身読んでから買うべきだった。現代の住職が書いた廃仏毀釈の本。仏教に肩入れするのは仕方ないとしても、明治以降、神道を国家宗教に据えるのは信仰の自由を踏みにじり、軍国主義一直線の元凶である云々と、権力と結びつくことについて延々非難するのに、話題が江戸の幕府と仏教の深い繋がりになると、仏教のおかげで太平が保たれたのでした、となる。ギャグでなければ、なんなのか。また、とにかく政体と結びつく神道憎しを正当化する文脈で、世界平和たどか、信仰の自由を歌うのに、仏教が根付いていない現代インドを異教徒の国と言う。2013/02/27




