内容説明
第一次世界大戦の敗戦国ドイツの廃墟から、忽然と立ち上がったモダン・デザインの工芸美術学校、バウハウス。バウハウスは、モダン・デザインの思想と教育指針を世界に蒔き、世界のデザインをリードし、現代産業デザインにも大きく貢献した。ヒトラーとスターリンの弾圧によってやむなく閉校しても、現代デザインに影響を与え続けたバウハウス100年の軌跡を追う。
目次
バウハウス―特別な時代の特別な学校
バウハウスの人々
バウハウス以前
ワイマールからデッサウへ
「ハウス・アム・ホルン」のデザイン―グロピウス理想の共同作業
もう一つのバウハウス モスクワ―バウハウス(BAUHAUS)とブフテマス(VKhUTEMAS)
「ブフテマス一〇〇歳」「バウハウス一〇〇歳」―モスクワのバウハウス「ブフテマス展」
ごった煮のバウハウス
最高の人材輸出、バウハウス
「メイド・イン・イングランド」と「メイド・イン・ジャーマニー」の争い
モダンへの掛け橋―クリスタル・パレスとリバイバル・ゴシック
芸術不在、アート砂漠のイギリス
イギリスのモダン
二つのユートピア―モリスとベラミー
芸術家村―マチルダの丘:オルブリッヒ
モダンへの一歩、シンプルとクリア
出遅れたフランスのモダン
モンドリアン―スタジオは作品
装飾ナシの素材へ
「ヴァイセンホーフ・ジードルング」へ
ウエルクブンド・シュトゥツトガルトの丘
空間のモダン
コルビュジエのモダン
世界のバウハウス
日本人留学生
ペリアンと山荘で
ドイツ家電戦争―モダンな家電は女性を開放したか
家電は女性を解放したか
モダンと女性、モードが先行したモダン
女性解放の住宅のゆくえ
規格化―戦争か平和か
著者等紹介
竹原あき子[タケハラアキコ]
1940年静岡県浜松市笠井町生まれ。工業デザイナー。1964年千葉大学工学部工業意匠学科卒業。1964年キャノンカメラ株式会社デザイン課勤務。1968年フランス政府給費留学生として渡仏。1968年フランス、Ecole nationalesuperieure des Arts D´ecoratifs。1969年パリ、Thecnesデザイン事務所勤務。1970年フランス、パリInstitut d’Environnement。1972年フランス、EcolePraique des Hautes Etudes。1973年武蔵野美術大学基礎デザイン学科でデザイン論を担当。1975年から2010年度まで和光大学・芸術学科でプロダクトデザイン、デザイン史、現代デザインの潮流、エコデザイン、衣裳論を担当。現在:和光大学名誉教授、元:長岡造形大学、愛知芸術大学、非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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