小泉郁子教育論集〈第4巻〉戦時下北京からの発信〈1〉

個数:
電子版価格
¥4,180
  • 電子版あり

小泉郁子教育論集〈第4巻〉戦時下北京からの発信〈1〉

  • ウェブストアに2冊在庫がございます。(2025年06月15日 14時50分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●3Dセキュア導入とクレジットカードによるお支払いについて
    ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ 46判/ページ数 408p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784846022501
  • NDC分類 370.4
  • Cコード C0337

出版社内容情報

1937年3月、?介石夫人・宋美齢を日本に招く使者の役目を郁子は担った。

「世界に真の平和を打ち立てることは、婦人の力に俟たねばならぬ」

という宋美齢のことばに喜びを感じたが、

戦時下北京における郁子の教育実践はいかなるものだったか。

日本における女性の権利獲得運動の先駆者・小泉郁子。

今よみがえるその精神の軌跡! 好評シリーズ第四巻!

内容説明

「国際間に平和のない限り、一番苦しむものは婦人である」という宋美齢のことばに郁子は共感を覚えた。しかし、まもなく日中全面戦争の時代となり、「全面的に日支交戦の火蓋が切られて了った今日、平和工作は無用です」とまで述べ、「後退して機を待つ」方向に転換、北京で児童・生徒の育成に尽力する。その論説は、学園内の事柄、戦時の動向、北京社会の変貌から日中文化比較にまで及ぶ。

目次

論説―一九三五年~三六年(長江丸より;汎太平洋新教育会議に就いて;手を翳し見る日本の面影 ほか)
論説―一九三七年(異郷より新禧;支那と天災;支那の映画を覗く ほか)
論説―一九三八年前半(崇貞学園の現在及未来;五ケ月振りに帰京して;春の音ずれ ほか)

著者等紹介

小泉郁子[コイズミイクコ]
1892年~1964年。島根県生まれ。1915年植村正久より受洗。同年東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)卒業。兵庫県明石女子師範学校教諭などを経て、22年東京女子高等師範学校研究科入学、同年秋米国に留学。27年Oberlin大学卒業、28年Michigan大学大学院修士号取得。30年帰国し青山学院教授。35年北京・崇貞学園創設者の牧師清水安三と結婚、学園の教育・運営にあたる。46年安三とともに帰国し東京・町田に桜美林学園を開設、その経営にあたる。郁子の遺志の継承のため、お茶の水女子大学に小泉郁子賞が創設されている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

最近チェックした商品