内容説明
古典語文読解に直結する、主として構文に関する問題点を、教科書を中心にした有名作品本文に即してのQとし、一般の生徒・学生のみなさんやカルチャー講座の日本古典愛好家たちにも容易にご理解いただける平易な解説のAを心掛けた。
目次
否定された「浮きし脂」という訓み(『古事記』初発の神々)原文「浮脂」が、いま、「浮ける脂」「浮かべる脂」などと訓まれるのは、どうしてか。
未然形接続ではなかった接尾語「く」(『古事記』海幸・山幸)「言はく」の「く」が、どうして「言ひしく」「言ひつらく」ともなって現れるのか。
「佩ける大刀」と「佩けましを」と(『古事記』中巻・歌謡)「佩く」の自動詞・他動詞の別と名詞化した「(御)佩刀」とについて詳しい説明を。
「野守は見ずや」の「見ずや」(『万葉集』(1)二〇)額田王の「野守は見ずや」の「見ずや」は、疑問か、反語か。その現代語訳は。
「夏きたるらし」の「きたる」(『万葉集』(1)二八)その「きたる」は、一語か、二語か。『新古今和歌集』での「来にけらし」は。
「人こそ見らめ」の「見らめ」(『万葉集』(2)一三一)「人こそ見らめ」の「見」は、未然形か、連用形か。「る」が脱落したのか。
「いさよふ波の行く方知らずも」の「の」(『万葉集』(3)二六四)下の句「いさよふ波の行く方知らずも」の「の」は、主格か、連体格か。その訳は。
「古思ほゆ」の「思ほゆ」の「ゆ」(『万葉集』(3)二六六)「思ほゆ」「聞こゆ」「見ゆ」などの「ゆ」は、どういう要領で説明したらよいか。
「人に厭はえ」「人に憎まえ」の「え」(『万葉集』(5)八〇四)その「え」は、「れ(→る)」の前身なのか。その活用する行は、何行なのか。
「すみれ摘みにと来し我そ」の「来し」(『万葉集』(8)一四二四)その「来し」の「来」は、未然形か、連用形か。その判断の手掛かりは、何か。〔ほか〕
著者等紹介
中村幸弘[ナカムラユキヒロ]
昭和8(1933)年、千葉県に生まれ、國學院大學文学科卒業後、昭和31(1956)年から15年間、千葉県立佐原第一高等学校・同県立大原高等学校・國學院高等学校で教諭として勤務。昭和46(1971)年、國學院大學専任講師・助教授・教授を経て、平成16(2004)年、定年退職。博士(文学)・國學院大學名誉教授。続いて弘前学院大学教授の後、平成19(2007)年から國學院大學栃木短期大學教授(学長)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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