内容説明
光秀は本能寺にいなかった―新発見の史料を徹底解読し、戦国史最大の謎に迫る。
目次
第1章 『乙夜之書物』とその著者(加賀藩内有数の知識人;政春の曾祖父・祖父・父母・姉妹 ほか)
第2章 『乙夜之書物』が記す織田信長攻め(謀議と挙兵;本能寺攻め ほか)
第3章 『乙夜之書物』が記す織田信忠攻め(妙覚寺・二条御所へ;二条御所の攻防 ほか)
第4章 『乙夜之書物』が記す乱の終焉(安土城の接収と山崎の戦い;明智左馬助と明智弥平次 ほか)
第5章 『乙夜之書物』が記す戦国エピソード(惟任光秀の乱直後の前田利長;徳川家康の「神君伊賀越え」 ほか)
著者等紹介
萩原大輔[ハギハラダイスケ]
1982年生まれ。富山市郷土博物館主査学芸員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ポテンヒット
13
「乙夜之書物」(いつやのかきもの)とは、加賀藩の兵学者が様々な事柄について聞き書きした書物。又聞きが多いので確度は定かではないが、光秀は本能寺には行っていない話は興味深い。また、本能寺での信長の様子や伊達政宗が小田原で秀吉に謁見する場面などは臨場感にゾクゾクした。織田有楽斎は光秀謀反後、二条城で織田信忠が自害した後、自らも切腹して火を放とうと薪蔵で用意をしていたら表に誰もいない。そこで、私がここで切腹する道理もないのでひとまず落ち延びてみようと退いたら、「狭間くぐり」と悪名がついたという本人の談。➡️2024/12/09
浅香山三郎
9
加賀藩の兵学者・関屋政春の書いた『乙夜の書物』を読み解き、そこに記された本能寺の変についての光秀関係者による証言を検討する。その結果、光秀が本能寺には赴いて居なかつた可能性が高いこと、信長の息・信忠の動向を光秀は正確に摑んではいなかつたことなどについて、信用性が置けると述べる。後世に編まれた書物(二次史料)の史料としての有効性を示し、よく吟味することで利用できる途を切り開かうとする。加賀藩の編纂物を始め、近世における歴史の叙述のあり方についても、多くの事例をひき、示唆に富む。2022/11/28
逍遥遊
3
15-5-20230518 【ベストブック】えっ!?市川猿之助が無理心中???本日発売の『女性セブン』の記事が引き金??? こりゃ大変!!! いやいや、この本すごいで!原文と口語訳を対比も読みやすくとてもよかった。鳥羽って三重県じゃなくって京都の鳥羽ね。。。この本を読んでいると、過去の研究者の調査が如何に不十分だったかがよく理解した。とても良書でした。2023/05/18
娑婆乃呼吸
3
加賀藩士・関屋政春による『乙夜之書物』における本能寺の変〜山崎の戦い(筆者は「惟任光秀の乱」と呼)を中心とした記述を分析した一冊。 筆者の富山市郷土博物館学芸員主査・萩原大輔氏は、近年『乙夜之書物』研究の成果をたびたび発表しており、昨年も斎藤道三が油売りから国盗りを果たした、とする最古の記録として紹介されていました。 個人的には、明智弥平次秀満と明智左馬助が別人である、というのを本書で初めて知りました。2023/03/24
takao
1
ふむ2025/04/03