内容説明
「輝かしい近代」の背後にある国家動員の論理を暴く、21世紀型社会科学の試み。
目次
動員史観への長い助走
第1部 動員史観へのご招待―近代、よい子、動員(動員史観への序奏;「動員後」へのスルーパス―一九九七年ジョホールバルからの展望)
第2部 一九世紀型社会科学からネオ・マキアヴェリ主義的冒険へ(社会科学の古典モデル;日本におけるネオ・マキアヴェリ主義的精神の躍動―動員史観前史の試み)
第3部 第三の社会理論の実践としての動員史観(動員史観の理論枠組;よい子という問題構成―動員の考古学)
動員史観の基本的性格―総括
見えざる手としての国家
著者等紹介
畠山弘文[ハタケヤマヒロブミ]
1956年函館生まれ。1979年東北大学法学部卒業。1986年東北大学大学院法学研究科修了(法学博士)。この間、ロンドン大学LSE校留学。明治学院大学法学部着任、現在、政治学科教授。この間、レスター大学治安研究所、カルフォルニア大学バークレー校客員研究員。専攻・講義科目は政治学・政治社会学・国家論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Mealla0v0
1
文章術にセンスがない所為か、非常にキモイ文体である。それを学術的な批判に言い換えるなら、「動員史観」なる視座の独創性を過剰に強調するあまり、様々な事柄に言及し、その乱雑さが拭えないし、また「内輪ネタ」らしき脱線が多く、読み手に苦難を強要する。そして、辛抱強く読んでみたところで、大した内容でもない。近代を、戦争を状態とする体制と見做し、戦争のための動員が高度化してきた歴史と見做す。そこにフーコーの統治性を絡めてくるのは面白いが、だからと言って、とりたてて示唆的な知見を提供してくれはしない。非常に残念だ。2017/09/05
mxnishi
0
面白いけど長い。2008/10/06