出版社内容情報
キリスト教伝道のために単身来日し、
陸海軍人への伝道に生涯を捧げた女性宣教師がいた!
†エステラ・フィンチは明治26年初来日し全国各地で伝道。29歳で再来日後、黒田惟信牧師(著者の祖父)と共に、横須賀に「日本陸海軍人伝道義会」を設立。海軍機関学校生徒をはじめ多くの陸海軍人がこの教会に通った。40歳の時日本に帰化し「星田光代」となり、55歳で逝去するまで伝道活動を続けた。
†エステラ・フィンチと、彼女を陰で支え最後まで信頼すべきパートナーとなった黒田惟信の足跡、マザー・フィンチを慕った“ボーイズ”たちの回想、軍人伝道年表など充実した内容
エステラ・フィンチ(日本名・星田光代)(1869-1924)
米国生まれ、神学校卒業後、婦人宣教師に。24歳で初来日し日本各地で伝道活動。29歳の再来日後、横須賀に「日本陸海軍人伝道義会」を設立。日本に帰化し、軍人伝道に生涯を捧げた。55歳で逝去。
内容説明
キリスト教伝道のために単身来日し、陸海軍人への伝道に生涯を捧げた女性宣教師がいた!エステラ・フィンチ(日本名・星田光代 1869‐1924)は、明治26年初来日し全国各地で伝道。29歳で再来日後、黒田惟信牧師(著者の祖父)と共に、横須賀に「日本陸海軍人伝道義会」を設立。海軍機関学校生徒をはじめ多くの陸海軍人がこの教会に通った。40歳の時日本に帰化し「星田光代」となり、55歳で逝去するまで伝道活動を続けた。エステラ・フィンチと、彼女を陰で支え最後まで信頼すべきパートナーとなった黒田惟信の足跡、マザー・フィンチを慕った“ボーイズ”たちの回想、軍人伝道年表など充実した内容。
目次
第1章 来日前のエステラ・フィンチ(貧しさの中で;神学校への夢(A・B・シンプソンのこと) ほか)
第2章 手探りで始めた日本伝道(姫路でいよいよ伝道開始;東京で日曜学校を開く ほか)
第3章 陸海軍人伝道への強い思い(二度目の来日;“軍人には軍人の教会が必要である”)
第4章 日本人「星田光代」の献身的愛の秘密
著者等紹介
海野涼子[ウミノリョウコ]
マザーオブヨコスカ顕彰会代表。久里浜教会々員。横浜プロテスタント史研究会々員。1938年、千葉愛爾・幾代の次女として神奈川県横須賀市若松町43番地の旧伝道義会の家に生まれる。清泉女学院卒。ワシントンD.C.の在米大使館防衛駐在官となった夫に同伴し4年間(1977~1981)同地に在住。祖父はエステラ・フィンチと共に伝道義会を設立した黒田惟信。父千葉愛爾は元海軍大佐で旧伝道義会々員、戦後牧師となりペリー上陸の地、久里浜に日本基督教団久里浜教会を設立、1952~1986年まで34年間85歳で没するまで初代牧師として務めた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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