出版社内容情報
今の日本に最も必要な男
重光のような人材を擁しながら戦略的大失態を演じた事実には謙虚に向き合わなくてはならない。
我々日本人は未だにその弱点を克服していないからである。重光に学ぶことは日本人の弱点を学ぶことでもある。
【本書の特徴】
新字・新仮名遣い 文字が大きい 難易語に注釈
原書にはない写真 重光の直筆イラスト 人物の情報に注釈
元外相が見た東條英機ら“A級戦犯”死刑囚25人の素顔
今残っている二十五名のA級戦犯者の裁判は、極刑の言い渡しに近づきつつある。
彼等の心境は…如何なることがあっても、皇室に御迷惑をかけぬ、
天皇陛下に御安泰のあれとする精神は日々の言動に現われている。
この点は人々の心の中に一点の曇りも懸ってはおらぬことに明かに看取出来る。
これが日本精神の結晶であり彼等の人生観である。 -重光 葵
巣鴨日記は、東京裁判の復讐劇としての実態、検事、裁判長、弁護人らの言動、
A級戦犯として捕らえられた人々の横顔、重光の思想などが詳細に記された貴重な資料である。
戦争回避に尽力しGHQと戦い、独立後は日本の国際社会復帰に貢献した重光。
いかなる状況においても絶望せず、降伏文書への署名と、国連加盟受諾演説の両方を行う
という数奇な運命を辿った重光は、逃げることなく一貫して国家を背負い続けた。
かつてこのような人物が存在したことを、日本人は決して忘れてはならない。
― 山岡鉄秀「解説」より
内容説明
元外相が見た東條英機ら“A級戦犯”27人の素顔。『巣鴨日記』は、非軍人でありながらA級戦犯容疑者として収監された重光が巣鴨プリズンで便箋に認めたもの。東京裁判の詳細な様子、プリズンでの非人間的な扱い、英国人、米国人との国を超えた信頼関係、家族と網越しの面会などを綴り、世界が米ソの陣営に分析されていく情勢を分析、そして日本の行く末を憂いた。
目次
昭和二十一年
昭和二十二年
昭和二十三年
著者等紹介
重光葵[シゲミツマモル]
1887年大分県生まれ。子供の頃朝の沐浴と教育勅語の朗読を日課とする。東京帝大法科大学独法科卒業。外務省に入り、上海総領事、駐華特命全権公使等を歴任、上海事変停戦協定を成功させた直後、上海天長節爆弾事件で右足を失う。その後、外務次官、駐ソ、駐英、駐華の各大使、さらに東条内閣、小磯内閣、東久邇宮内閣で外相を務める。日本政府全権として戦艦ミズーリ艦上で降伏文書調印。昭和天皇の信頼厚く、調印前天皇から激励を受ける。張鼓峰事件の解決、ビルマ援蒋ルートの一時的閉鎖、戦後の占領軍による軍政阻止などは、重光の卓越した交渉能力を示す例である。大東亜共同宣言も終戦の御聖断も重光の提言によって実現。日華和平を目指し、三国同盟や日米開戦には反対の立場だったが、極東国際軍事裁判ではソ連の横やりでA級戦犯の被告人となり、禁固7年の判決。政界復帰後、改進党総裁、日本民主党、自由民主党副総裁、そして鳩山内閣の外相として日本の国際連合加盟に尽力。1957年没、享年69歳
山岡鉄秀[ヤマオカテツヒデ]
1965年、東京都生まれ。中央大学卒業後、シドニー大学大学院、ニューサウスウェールズ大学大学院修士課程修了。公益財団法人モラロジー道徳教育財団研究員、令和専攻塾塾頭(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。