内容説明
戦後の日本人の記憶からは消されてしまった、勇敢に戦う父祖たちの姿、美しき日本兵の心とは―支那事変の最前線にのぞむ一人の兵士が赤裸々に綴った真実の記録。昭和13年に刊行された同年上期の“直木賞候補”。戦後GHQによって没収・廃棄された幻の“名作”を完全復刻。
目次
戦線の序章
僕の参戦手帖から
一等兵戦死
戦場の点
詩集戦線
上海戦線の余韻
戦線の土、故国の土
著者等紹介
松村益二[マツムラエキジ]
大正2(1913)年、徳島市に生まれる。文化学院文学部卒業後、徳島日日新報社を経て、昭和11(1936)年、毎日新聞社に入社。昭和12(1937)年、支那事変に応召され、昭和13(1938)年、応召解除。同年10月には、『一等兵戦死』が春秋社から刊行され、同書は昭和13年上期の直木賞候補となる。昭和19(1944)年、従軍記者としてビルマ戦線へ派遣、昭和21(1946)年に復員。その後は、徳島新聞社編集局長、徳島日本ポルトガル協会理事、四国放送代表取締役社長などを歴任。昭和59(1984)年、腎不全のため逝去。享年70(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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yamatoshiuruhashi
37
昭和13年に出された兵士の手記。大陸で戦争中とはいえ、その数年後に始まる南方戦線とは異なり、まだ補給も野戦病院、兵站病院も機能している頃である。いつであろうと前線の兵士は常に命がけである。今の発達した表現方法から言えば決して文学的な文章ではないが、その朴訥とした文章の中に過酷な戦場を経たものにしか醸し出せない真実がある。前線には戦闘はあるが、戦っているだけで戦況がわからない。故に後方から来た新しい人間に、戦争はどうなっているか聞くという。何とも言えない複雑な気持ちにさせられた。2019/07/29
0717
11
何かヘミングウェイを読んでいるようだった。戦場は悲惨で暗澹なだけでなく、その中だからこそ美しくキラキラと光る瞬間を捕らえている。戦闘の合間で飲む珠玉の紅茶、戦友への労り、死んだまま野晒しで冷たい雨に打たれる敵兵への同情・・・。私の祖父も支那事変に応召していたので、同じ空気を共有していたんだろうな。2019/02/17
フロム
10
創設から廃軍まで帝国陸軍の主戦場は大陸である。と言うわけで著者の感想はそのまま陸軍末端兵の感想と言ってよいと思う。その彼が終始触れているのが水の悪さ。そら砲弾後にできた水たまりで炊いた米なんか臭いに決まってる訳でそのマズイと言う感想こそが陸軍の根幹なのだろう。その途中差し込まれる友人の死や戦場の絆、紅茶の旨さ、負傷しても戦場に戻りたいという熱い思い。恐らく平時に生まれた僕にはどうしても理解する事が不可能な世界がそこにはあるのだ。ただ文章は酷い。2018/12/08
roatsu
8
敗戦後の占領下、日本人無力化と国体の変質を図ったGHQの検閲(自由と民主主義の何よりの敵である邪悪な政策がどさくさ紛れに公然と行われ今現在の日本という国家もどきの歪んだ価値観の根幹に作用し続ける。これを知らずに漫然と生きている日本人の何とおめでたく愚鈍なことか。)で闇に葬られた他ならぬ日本人自身が体験し綴った迫真の戦記であり戦争文学。昭和12年の第二次上海事変(シナ国府軍の我が上海陸戦隊への先制攻撃で始まったが、事前の蒋介石政府の排日・侮日政策や挑発行為、権益保持のため隠然と軍事支援をしたワイマールドイツ2018/11/01
梅屋敷
5
支那事変、まさに亡くなった祖父が赴いた戦地でした。叔母が、大変だったねと言うと、当時は日本軍の後方支援もしっかりしていたからまだ良かったんだよと答えていたそうです。その後の南方戦線に従軍した人の苦労を慮っていました。中国兵の自国民への虐殺等が出てきますが、例の南京の真実なのでしょうね。2019/02/09