出版社内容情報
記憶は物質に宿るのか。記憶は遺伝するのか。この二つの問いをめぐって展開されるリヒャルト・ゼーモンの「ムネーメ理論」は、そのラマルキズム的な結構のために、長らく科学史の闇に葬られ、無視され、忘却されてきた。
本書第1部はまず、この記憶研究の「忘れられた」先駆者、リヒャルト・ゼーモンが生涯をかけて構築した「ムネーメ理論」を、本邦で初めて本格的に論じる。次に、アウグスト・ヴァイスマンからの苛烈なゼーモン批判を取り上げる同時に、ゼーモンのメンターであるエルンスト・ヘッケルを始め、ヴィルヘルム・ベルシェ、エルンスト・マッハやアウグスト・フォレル、オイゲン・ブロイラーによるゼーモン支持を通覧する。ゼーモンの「ムネーメ理論」はまた、近年とみに注目され始めたDNAを介さない「遺伝」の一種である「エピジェネティクス」の議論において、その先見性が再評価されつつある。ゼーモンは言わば「忘却の淵から甦りつつある」のである。本書第1部後半では、「エピジェネティクス」の仕組みを概説しながら、いかなる意味でゼーモンが「甦りつつある」のかを検証する。
本書第2部では、ゼーモンの「ムネーメ理論」の、伏流水のように潜行する影響の水脈を、20世紀の多様な思想や著作の中にたどり、その射程と意義を明らかにする。議論の対象は、バートランド・ラッセルの「中立的一元論」、マリア・モンテッソーリの「モンテッソーリ・メソッド」、エルヴィン・シュレーディンガーの『精神と物質』、アビ・ヴァールブルクの「ムネモシュネ」、カール・グスタフ・ユングの「集合的無意識」、そしてルードルフ・シュターナーの『神智学』にわたる。
本書第3部では、ゼーモンからの直接の影響はないものの、「ムネーメ理論」を参照しながら考察すべき、主として20世紀から現在に至る記憶論を俎上に乗せる。フロイトの『ヒステリー研究』をめぐるトラウマ論、ベルクソンの『物質と記憶』における「純粋記憶」、ベルクソンに対峙したアルヴァックスの「社会的記憶」、アルヴァックスを淵源とするアスマン夫妻の「文化的記憶」、さらには本邦の夢野久作と三木成夫の「胎児の夢」、手塚治虫の「記憶転移」、また「ムネーメ理論」の後継とも言えるリチャード・ドーキンスの「ミーム理論」のみならず、記憶の集積体としてのAIや、死後における「記憶のデジタル空間へのアップロード」といった最新の問題までが、第3部の考察の地平に組み込まれる。
これらの考察を経て結論部では、「心理と生理」、「心と身体ないし脳」、「精神と物質」、究極的には「質と量」にまたがる現象としての記憶とは何か―人間にとって、「私」にとって、記憶とは何かを問う。
【目次】
序 論
一 はじめに
二 記憶の分類
三 ゼーモンに関する研究状況
第一部 リヒャルト・ゼーモンと『ムネーメ』
第一章 リヒャルト・ゼーモンの肖像
一 ベルリンの幼年時代
二 学生時代
三 アフリカ・オーストラリアへの調査探検
四 醜聞
五 ムネーメ研究へ
第二章 エングラムとエクフォリー
一 ヘーリングからゼーモンへ
二 エーヴァルト・ヘーリングの講演
三 『ムネーメ』を読む
四 エングラム(Engramm)
五 エクフォリー(Ekphorie)
第三章 「記憶の遺伝」というアポリア
一 遺伝の概念
二 ムネーメは「遺伝」するのか
二-一 ケース一:シューベラーによる穀物を用いた実験
二-二 ケース二:フィッシャーによるヒトリガを用いた実験
三 「遺伝的な傾向性」がエングラムの総体としてのムネーメであることの「蓋然性」
第四章 アウグスト・ヴァイスマンの『ムネーメ』批判
一 「生殖質説」
二 ヴァイスマンの反駁
第五章 『ムネーメ』評価
一 エルンスト・ヘッケル
二 ヴィルヘルム・ベルシェ
三 アウグスト・フォレル
四 エルンスト・マッハ
五 オイゲン・ブロイラー
六 1970年代以降の記憶研究におけるゼーモン評価
七 今日の記憶研究に照らし見たムネーメ理論の評価
第六章 エピジェネティクスの「予言者」としてのゼーモン再評価
一 エピジェネティクス
一-一 エピジェネティクスの概要
(1) DNAメチル化
(2) ヒストン修飾
(3) ゲノム刷り込み(インプリンティング)
(4) 遺伝子サイレンシング
(5) 細胞記憶
(5)-1 「細胞状態の記憶」としての細胞記憶
(5)-2 「神経科学的な」細胞記憶
(5)-3 「免疫学的な」細胞記憶
(5)-4 「発生・進化思想的な」細胞記憶
(5)-5 「疑似科学的な」細胞記憶
一-二 世代を超えるエピジェネティックな現象例
(1) オランダの飢餓
(2) アグーチマウスの毛色
(3) 9.11のトラウマ
(4) 幼児期の環境因子
(5) 化学物質の摂取など
二 動物意識とムネーメ
三 付論:二人の「ラマルキスト」たち カムメラーとルイセンコ
第二部 『ムネーメ』の水脈
第一章 「中立的一元論」とムネーメ理論 バートランド・ラッセル『心
内容説明
記憶は物質なのか、記憶は遺伝するのか。記憶研究の「忘れられた」先駆者、リヒャルト・ゼーモンが生涯をかけて構築した「ムネーメ理論」。そのラッセル、モンテッソーリ、シュレーディンガー、ヴァールブルク、ユング、シュタイナー等への影響を追い、DNAによらない「遺伝」である「エピジェネティクス」の予言者としてのゼーモンを、忘却の淵から甦らせる試み。記憶をめぐるフロイト、ベルクソン、アルヴァックス、アスマン、ドーキンス、手塚治虫、夢野久作、三木成夫等のディスクルスや、AIをも視野に入れ、「記憶とは何か」に迫る。
目次
序論
第一部 リヒャルト・ゼーモンと『ムネーメ』(リヒャルト・ゼーモンの肖像;エングラムとエクフォリー;「記憶の遺伝」というアポリア;アウグスト・ヴァイスマンの『ムネーメ』批判;『ムネーメ』評価;エピジェネティクスの「予言者」としてのゼーモン再評価)
第二部 『ムネーメ』の水脈(「中立的一元論」とムネーメ理論―バートランド・ラッセル『心の分析』とリヒャルト・ゼーモン;ムネーメと教育―「モンテッソーリ・メソッド」とリヒャルト・ゼーモン;存在の途方もない連鎖―エルヴィン・シュレーディンガーとリヒャルト・ゼーモン;ムネーメ、ムネモシュネ、集合的無意識―リヒャルト・ゼーモンを読むヴァールブルクとユング;ムネーメと輪廻転生―ルードルフ・シュタイナーとリヒャルト・ゼーモン)
第三部 記憶をめぐるディスクルス(フロイトとゼーモン―精神分析と『ムネーメ』;ベルクソンとゼーモン―「純粋記憶」とムネーメ;集合的記憶―アルヴァックスからアスマンへ;『ドグラ・マグラ』と『胎児の世界』―夢野久作と三木成夫;「ミーム」とムネーメ;AIと記憶のアップロード)
結論
著者等紹介
福元圭太[フクモトケイタ]
1960年生まれ。大阪外国語大学ドイツ語学大学院修士課程修了。ベルリン・フンボルト大学、ボン大学留学、ミュンヒェン大学日本センター客員講師。現在、九州大学名誉教授。九州大学博士(文学)。ドイツ文学・思想研究。主要著作:『「青年の国」ドイツとトーマス・マン 20世紀初頭のドイツにおける男性同盟と同性愛』(九州大学出版会、2005年:「第4回日本独文学会賞 日本語研究書部門」受賞)、『賦霊の自然哲学 フェヒナー、ヘッケル、ドリーシュ』(九州大学出版会、2020年:「第19回日本独文学会・DAAD賞 日本語研究書部門」受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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