内容説明
人はなぜテレビを見るのか?“視聴者”が自由を得るため。テレビは“自作自演的習性”、つまり「自分でやったことなのに素知らぬふりをする」習性を持つ。一方“視聴者”は、番組に出演したり、ツッコんだりしながらもテレビを実質放置する。こうして戦後、暗黙の“共犯関係”による“テレビ社会ニッポン”は誕生した。その65年余に及ぶ歴史を検証し、転換期にあるテレビと視聴者の未来を展望する。誰よりも自らが“視聴者”であり続けてきた著者による渾身のテレビ論。
目次
序章 視聴者への“解放”―テレビ社会としての戦後日本
第1章 自作自演の魅惑―テレビの原光景
第2章 参加と自作自演―一九七〇年代の転換
第3章 「祭り」と視聴者のあいだ―一九八〇~一九九〇年代の高揚
第4章 自作自演の現在―二〇〇〇~二〇一〇年代の困難
終章 ポストテレビ社会に向かって―「視聴者」という居場所
著者等紹介
太田省一[オオタショウイチ]
1960年生まれ。社会学者、文筆家。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。それを踏まえ、現在はテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、歌謡曲、ネット動画などについて執筆活動を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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hk
18
本書を読書中にその外部で2つの問い立をたてられた。1つ目の問いが「ツッコミの主体と客体の変化は?」。2つ目が「事件の発生はテレビの外部か内部か?」である。 ツッコミとは異議申し立てのことだ。まずテレビ黎明期においては「今の延髄斬り、当ってねえだろ(笑)」といった具合に、ツッコミの主体は家族一丸だった。しかし1980年代から「おれたちひょうきん族」が端緒となりスタッフに対してダメ出しをする楽屋裏ネタが台頭し、「テレビがテレビに」ツッコミを入れ始めた。これは団塊自虐世代が製作者として影響を増した時期に符合する2019/04/22
岸田解
1
今もTVを観ながらこれを書いている。生まれてこの方、ずっと視聴者だ。殆どTVを観ることに最適化したように、「面白」と「退屈」のマーブル模様を楽しんでいる。/だからこそであろうか、本書を読み進めながら、「視聴者“からの”解放」「TVを観ない自由」について考え始めていた。TVを観ている時、他の凡ての属性や肩書からは自由になれているかも知れない。しかし、「視聴者」であることからは逃れられない。TVを観ながら、「自作自演」の片棒を手放す術を、少なくとも私は知らない。/それでも、きっと明日もTVを観るだろう。2019/05/07
ぷほは
1
「自作自演」という鍵語で括られたテレビ論。観察を実践するマスメディアの一種であるテレビは、「素人」「視聴者」「アイドル」「芸人」などの様々な人々を生み出してきた。その根幹にある自己準拠性を著者は自作自演と呼び、65年の日本戦後社会の歩みの中でその変遷を追う。お笑いコミュニケーションが中心に扱われるが相変わらずウリナリやナイナイに冷たく、また感動と成熟(の否定)を自演するアイドル史は扱われない。とはいえ『バリバラ』『おっさんずラブ』『ハイパーハードボイルドグルメリポート』など、最近の動向に対する卓見がある。2019/03/12
tkm66
0
そう、「自作自演」の定義が見事!2019/05/01