内容説明
敗戦後の日本で非戦平和運動の闘士として知られる遠藤三郎(一八九三~一九八四)は、日本陸軍の知将・勇将であった。本書は遠藤が記録し所蔵していた「満洲事変」以前からの日記と関東軍の機密資料を駆使して、彼の軍人時代の思想を解明することを試みたものである。彼は関東軍の戦略指導部として、「満洲」北部の永久地下要塞の築城や第七三一部隊の細菌兵器の開発にも関与し、対ソ作戦案としては速戦速決を提言していた。巻末には、「満洲事変」直後の関東軍のかかわりを記録した日記「満洲事変中渡満日誌」と、関東軍司令官と「満洲国」執政溥儀との往復書簡や日満議定書締結前後の資料などを数点収録した。
目次
第1部 若き遠藤三郎―激動の「満洲事変」への道(学習時代と関東大震災の体験;フランス留学―学習とロマンス;「満洲事変」へのプレリュード)
第2部 「満洲事変」とその波紋―陰謀と暴走の渦中で(遠藤の「満洲事変中渡満日誌」にみる関東軍の秘密;関東軍の戦略爆撃と北満出兵;戦火、さらに上海へ―抗日運動の嵐;遠藤三郎、七了口上上陸作戦を立案;上海事変―農民の記憶と二つの後遺症;遠藤三郎、関東作戦主任参謀として「満州国」に赴任;「日満議定書」の調印と密約協定;熱河省計略計画―準備から発動へ;関東軍の対ソ作戦=永久地下要塞の構築(一九三三~一九三六)
二・二六事件とその後遺症
遠藤三郎の対ソ戦術論(一九三六年:陸軍大学請授録))
第3部 日中全面戦争―指揮官としての遠藤三郎(近衛内閣と蒋介石、毛沢東の戦略;部隊長として最前線へ;ノモンハン事件と遠藤三郎;第三飛行団と重慶無差別爆撃)
著者等紹介
吉田曠二[ヨシダヒロジ]
1937年4月15日、京都市に生まれる。1963年同志社大学大学院法学研究科修了(法学修士)。1964年朝日新聞大阪本社入社、広告局で広告市場調査と広告審査など担当。その間に大学院時代の恩師田畑忍教授に師事し、日本近現代史研究を継続。1997年朝日新聞社を定年退職後、名城大学法学部非常勤講師となり外交史・政治史の講義を担当、2006年から同大学院で、政治理論・政治史を講義(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
-
- 和書
- きっと、これは赤