あわいゆくころ―陸前高田、震災後を生きる

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あわいゆくころ―陸前高田、震災後を生きる

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  • サイズ B6判/ページ数 360p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784794970718
  • NDC分類 915.6
  • Cコード C0095

出版社内容情報

ひとりのアーティストが受け渡された、津波から復興への“あわいの日々”の言葉たち。震災後七年間の日記文学。東日本大震災で津波の甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市。絵と言葉のアーティスト・瀬尾夏美は、被災後の陸前高田へ移り住み、変わりゆく風景、人びとの感情や語り、自らの気づきを、ツイッターで継続して記録、復興への“あわいの日々”に生まれた言葉を紡いできた。厳選した七年分のツイート〈歩行録〉と、各年を語り直したエッセイ〈あと語り〉、未来の視点から当時を語る絵物語「みぎわの箱庭」「飛来の眼には」で織り成す、震災後七年間の日記文学。

みぎわの箱庭
あわいゆくころ

一年目 二〇一一年三月十一日―二〇一二年三月十一日
    歩行録
    あと語り さみしさについて

二年目 二〇一二年三月十二日―二〇一三年三月十一日
    歩行録
    あと語り うつくしさについて

三年目 二〇一三年三月十二日―二〇一四年三月十一日
    歩行録
    あと語り 距離について

四年目 二〇一四年三月十二日―二〇一五年三月十一日
    歩行録
    あと語り 弔いについて

五年目 二〇一五年三月十二日―二〇一六年三月十一日
    歩行録
    あと語り 風景について

六年目 二〇一六年三月十二日―二〇一七年三月十一日
    歩行録
    あと語り 旅について

七年目 二〇一七年三月十二日――二〇一八年三月十一日
    歩行録
    あと語り 継承について

飛来の眼には
語りのこし

瀬尾夏美[セオナツミ]
著・文・その他

内容説明

東日本大震災で津波の甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市。絵と言葉のアーティスト・瀬尾夏美は、被災後の陸前高田へ移り住み、変わりゆく風景、人びとの感情や語り、自らの気づきを、ツイッターで継続して記録、復興への“あわいの日々”に生まれた言葉を紡いできた。厳選した七年分のツイート“歩行録”と、各年を語り直したエッセイ“あと語り”、未来の視点から当時を語る絵物語「みぎわの箱庭」「飛来の眼には」で織り成す、震災後七年間の日記文学。

著者等紹介

瀬尾夏美[セオナツミ]
1988年、東京都足立区生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修士課程修了。土地の人びとの言葉と風景の記録を考えながら、絵や文章をつくっている。2011年、東日本大震災のボランティア活動を契機に、映像作家の小森はるかとの共同制作を開始。2012年から3年間、岩手県陸前高田市で暮らしながら、対話の場づくりや作品制作を行なう。2015年宮城県仙台市で、土地との協働を通した記録活動をする一般社団法人NOOK(のおく)を立ち上げる。現在も陸前高田での作品制作を軸にしながら、“語れなさ”をテーマに各地を旅し、物語を書いている。ダンサーや映像作家との共同制作や、記録や福祉に関わる公共施設やNPOなどとの協働による展覧会やワークショップの企画も行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

百太

24
東日本大震災から長期間関わっている人達の言葉は、 そうだったなや、そうだろうなと、つくづく思います。 私も何度か陸前高田に伺い描かれている風景を見ています。 2021/06/15

松村 訓明(まつむら のりあき)

6
東日本大震災の被災地である陸前高田に住むこととなった筆者が、ツイッターに投稿した内容を紡いだ本です。7年間に亘り、現地で発したツイッターを読んでいると自分自身も現地にいて、現地の空気を吸っているような感覚に襲われました。現地にいることで見える風景があると思っています。私はこの本を読みながら「復興」とは何だろうと考えました。読み終わったとき「復興」とは、道路、建物を作るということだけではなく、その地に暮らす人々の気持ちが立つ、気持ちが前向きになっていることが「復興」という意味なのではないかと思いました。2020/01/13

coldsurgeon

5
東日本大震災発災から7年間を綴った日記文学。発災直後の被災の痕跡と現在とが視覚的に交じり合う「あわいの時間」が陸前高田にあった。著者が生活の場をそこに移し、その場所を五感で見続けたのである。なぜ陸前高田であったか。それは津波があまりにも生活の場を奪いすぎたから、そして復興といいう現代土木技術が、さらに生活の場を覆いつくしたからだろう。風景は、地形と風土と人の暮らしが協働して編まれるものと思うが、災害と現代巨大土木技術の前には、そんな考えは無力だった。心に気編み込みたい物語。2019/04/18

Daimon

5
ぼくらは誰も知らない他人の経験を語れるのだろうか。語れるというより、語らなければならないという意志に近い。「ゼロからのまちづくりだの、真っ白なキャンバスだの、そんならここに住む理由がないよ。あのまちの続きだから、ここに住む意味があるのさ」(p.287)。「二重のまち」としてのまちー「まちを見下ろす高台から新しいまちの灯りを見たときに、「もう、これをうれしいと思ってもいいよね」と亡き人を思い浮かべながら胸をなでおろしたのだと教えてくれた」(p.338)。傍らに身を寄せつつかろやかに離れ、埃を被らないように。2019/02/05

鎌倉 幸子

4
2011年から2017年の記録。その時々に流れる町と人、人と人との間に流れる空気感のようなものが、読みながら感じました。2011年4月2日に宮城県気仙沼市に入り、4日に陸前高田市に入ってから、約4年間、出張ベースで入っていました。あれから8年がたち、いまだからこそもう一度訪れたいと思い、手にした一冊です。2023/08/13

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