出版社内容情報
放浪の陶工として、また力士としても名を馳せた男の生涯を、同じく陶工である筆者が大胆に描く人物伝!
江戸末期(1821年)に信楽に生まれ、のちに信州・越後・甲州とやきものを作りながら放浪を繰り返し、最期の地となった甲州において人生の幕を閉じた(1902年)陶工がいた。その名を「奥田信斎」という。美男子であるうえに体格がよく、大酒呑みという豪快な男であった。この男、実は力士としても名を馳せ、四股名を「立浪紋左衛門」といった。同じく信楽で陶工をしている筆者は、ある時、この男に興味をもつようになり、その足跡を調べはじめた。そして、数年後、信州の赤羽と塩尻近くに位置する洗馬に「信斎作」のやきものがあることを知り、この男の一生を調べ尽くそうとさらなる調査に乗り出した。しかし、作品以外に残っている資料はごく僅かなもので、苛立ちの日々が続いた。そこで筆者が思いついた手法は、自らが紋左衛門となってこの男の人生を描き切るということであった。本書は、フィクションを中心として奥田信斎の一生を表したものである。フィクションとはいえ、同じ陶工である筆者のやきものに関する記述は正確でリアリティ豊かなものとなっている。それがゆえに、陶器をこよなく愛する多くの日本人にとっては、やきものの「入門書」にもなり得る。日本六古窯の一つである信楽において、やきものがいかにして作られてきたのか、また陶工達の日常生活はいかなるものであったのか、そして信楽が全国の産地にどのような影響をもたらしたのかなど、様々な視点から楽しむことができる。完成品を使ったり飾ったりして楽しむだけでなく、その制作過程や歴史を知ることでやきものの「すごさ」がより明らかになり、購入者の素養も高まることになる。筆者は「あとがき」において、「何事も、可能なかぎり書き残して、後世に伝えていかなければならないということを、本書を著すことで痛感した」と述べている。読後、「伝承」という言葉の重みを再確認した。(文責・本書編集担当)
内容説明
信楽に生まれた陶工・奥田信斎(本名)の一生とは―フィクションとは思えないリアリティ。
目次
序章 信楽焼とは
第1章 信楽での紋左衛門―文政四年(一八二一)~明治元年(一八六八)頃
第2章 信州へ向かう紋左衛門―明治元年(一八六八)頃
第3章 赤羽の紋左衛門―明治元年(一八六八)~明治三年(一八七〇)頃(四八~五〇歳)
第4章 洗馬の信斎窯―明治三年(一八七〇)~明治一八年(一八八五)頃(五〇~六四歳)
第5章 越後の能生谷焼と信斎―明治一八年(一八八五)~明治二三年(一八九〇)頃(六四~七〇歳)
第6章 甲州秋山焼と信斎―明治二四年(一八九一)~明治二七年(一八九四)頃(七一~七四歳)
第7章 小倉焼と信斎―明治二七年(一八九四)~明治三五年(一九〇二)頃(七四~八二歳)
終章 信楽を出て異郷に出てやきもの作りをした人たち―その貢献の記録
著者等紹介
冨増純一[トミマスジュンイチ]
1938年、信楽町長野生まれ。1992年、伝統工芸士に認定される。信楽町議会議員、信楽町議会議長、信楽文化財専門委員委員長、信楽町観光協会会長、甲賀市観光協会会長などを歴任。現在、「甲賀市史」の編纂委員、信楽古陶愛好会会長、信楽焼伝統工芸士会会長を務めるほか、韓国イチョン市との国際陶産地交流に尽力している。2010年秋、瑞宝単光章を受章。陶号は「壷久郎」(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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