出版社内容情報
ジュディス・バトラー[ジュディスバトラー]
著・文・その他
佐藤嘉幸[サトウヨシユキ]
翻訳
清水知子[シミズトモコ]
翻訳
内容説明
暴力とは何か。暴力を正当化する「自己防衛」、その「自己」の意味を徹底的に問い直し、人間が根本的に、他者や非人間を含む環境と相互依存していることを明らかにする。私たちは個人主義の罠を超えて、どのように連帯することができるのか。常に現代の諸現象を鋭く分析し、精神の最深部に訴えかけ続けてきた著者が示す、戦争とレイシズムの時代における非暴力のマニフェスト。
目次
序章
第1章 非暴力、哀悼可能性、個人主義批判
第2章 他者の生を保存すること
第3章 非暴力の倫理と政治
第4章 フロイトにおける政治哲学―戦争、破壊、躁病、批判的能力
終章 可傷性、暴力、抵抗を再考する
著者等紹介
バトラー,ジュディス[バトラー,ジュディス] [Butler,Judith]
カリフォルニア大学バークレー校大学院特別教授
佐藤嘉幸[サトウヨシユキ]
京都府生まれ。筑波大学人文社会系准教授。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。パリ第10大学博士号(哲学)取得。専門は哲学、思想史
清水知子[シミズトモコ]
愛知県生まれ。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科准教授。筑波大学大学院博士課程文芸・言語研究科修了。博士(文学)。専門は文化理論、メディア文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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フム
42
無数の残酷さと無意味な死の時代に私たちは生きている。戦争とレイシズムの時代だ。バトラーはレイシズム的暴力批判と戦争と国家的暴力への批判の根底に社会的不平等への批判を据えている。ロシアのよるウクライナへの侵攻が長引く中で、どの暴力を批判していいのか迷う時がある。戦争はあからさまに守るべき生と守るべきではない生とに人を区別する。バトラーはそれを哀悼可能性という言葉で説明する。自衛という言葉が我が国に置いても切実な響きで口にされるようになった。 2022/10/10
林克也
6
まさにその通りだと思う。しかしこういう“難しい”本を読んだり、話(講演)を聞いたりして、触発されて行動を起こすことが、正常性バイアスにどっぷり浸かって手の届く範囲以外の出来事はすべて他人事、自分に全く関係ない、という人が大多数の日本では、どんなに期待しても、実現することはないと思う。このまま“戦争”が始まり、多くの人が死んでいくのだろう。諦めてはいけないが、それに巻き込まれて自分も死んでいくのだろう。悲しい。2023/01/05
pushuca
3
私たちは確実に、無数の残酷さと無意味な死の時代に生きている。そうこの本の終章は始まる。だがこれはこの本の前提だろう。バトラーはそうした現状を突き抜ける為のキーとして、哀悼可能性という概念を提出する。それによってのみ、非暴力は実践可能なものになる。そしてバトラーは非暴力をフーコー、ベンヤミン、フロイトなどの知の系譜に丁寧に結び付けてゆく。非暴力は世界が暴力に満ちて出口が見えない現状を打ち破る、新たな可能性を想像する力なのだ。2022/10/23
遊動する旧石器人
2
2022年8月20日第1刷発行。超良書。僕が本書の中で、気になった用語が「哀悼可能性」と「可傷性」。前者は、その対象が傷付けられた時に哀しいと思うか思わないかで、後者は、傷を負わざるを得ない性質。哀悼可能性については、白人そして名誉白人が互いに向けながら、有色人種などに対しては哀悼不可を示す。つまり、有色人種というだけで、白人からの可傷性を帯びていることになる。その時、名誉白人の日本人は、白人側に位置するが、実は白人世界で可傷性を帯びた哀悼不可な存在であることを隠し、同じアジア人に哀悼不可を示している。2022/12/18
よっちん
0
研究室2023/04/04