性と頓挫する絶対―弁証法的唯物論のトポロジー

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  • サイズ 46判/ページ数 627p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784791774241
  • NDC分類 139
  • Cコード C0010

出版社内容情報

思想界の鬼才、そのキャリアにおける「超重要」理論書の堂々刊行!
〈絶対的なもの〉への信仰がついえたとき、性的快楽がそれに接触するための唯一の手段となる。しかしそれは必ず頓挫する運命にある。セクシュアリティは本質的に首尾一貫しないものであるからだ――。カント、ヘーゲル、ラカンを鍵に、現代における「性」を探究し、存在論と観念論の交差点で「弁証法的唯物論」に新たな可能性を見出す。ジジェク哲学の中でも白眉をなす「超重要」理論書、堂々の翻訳刊行。

内容説明

“絶対的なもの”への信仰がついえたとき、性的快楽がそれに接触するための唯一の手段となる。しかしそれは必ず頓挫する運命にある。セクシュアリティは本質的に首尾一貫しないものであるからだ―。カント、ヘーゲル、ラカンを鍵に、現代における「性」を探究し、存在論と観念論の交差点で「弁証法的唯物論」に新たな可能性を見出す。ジジェク哲学の中でも白眉をなす「超重要」理論書、堂々の翻訳刊行!

目次

序論 弁証法的唯物論の向き付け不可能な空間
定理1 存在論の視差(知的直観と原型的知性―カントとヘーゲルにおける反省性;ブッダ、カント、フッサール ほか)
定理2 人は性を通じて絶対に触れる(性別化された時間の湾曲;図式論―カント、ヘーゲル…そして性における ほか)
定理3 三つの向き付け不可能なもの(量子存在論のまぬけな神;倫理的なメビウスの帯 ほか)
定理4 抽象化の執拗さ(あそこがロドス島だ、あそこで跳べ!;言語、ララング ほか)

著者等紹介

ジジェク,スラヴォイ[ジジェク,スラヴォイ] [〓i〓ek,Slavoj]
1949年スロヴェニア生まれ。哲学者。リュブリアナ大学社会科学研究所上級研究員。ロンドン大学バークベック人文学研究所インターナショナル・ディレクター。ラカン派精神分析とヘーゲル哲学を武器に、政治経済学批判において新たな地平を切り拓き、文学や映画をも縦横無尽に論じている

中山徹[ナカヤマトオル]
一橋大学大学院言語社会研究科教授。専門はイギリス文学。訳書多数

鈴木英明[スズキヒデアキ]
昭和薬科大学教授。専門はイギリス文学。訳書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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原玉幸子

16
性の多様性を男女の二項対立とせずに定式M+とする論説には、ほほぅ成程(切り口が素晴らしい!)でしたし、「クラインの壷」を例示して一切を説明する姿勢に、近代哲学の思考の核心がある気がします。ですが、主に近代哲学と社会科学、実存主義、構造主義、宗教、マルクス、言語学、進化生物学、宇宙物理学、量子力学他に就いての「総合格闘技」的な語りは、話題毎の文意は理解出来ても、展開が頻繁、又、括弧書きや否定構文が多くて読み難く、ロジックが繋がらない気がして、早々に「再読チャレンジ本」の仲間入りでした。(◎2021年・冬)2022/01/07

 

0
ベケットの作品は極めて政治的である、というのは気付かされた。むしろ、それを直線的に表現するのではなくて、「障害/妨害」を繰り込むことで「現実」の中にヒビを入れる(=「現実的な/不可能なもの」)のように機能させる。「経験の材料は表現の材料ではない」(ベケット)の意味はこのように理解されなければならない。そこでは、単純なリアリズムよりも「リアル」なものとして読むものに経験させる。ところで、『レス・ザン・ナッシング』はまだっすか?2023/09/17

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