出版社内容情報
精神分析はどのように実践し得るのか?
ハイデガーとラカンの思考は、次の三つの問いをめぐって展開されている、と言うことができるだろう。存在の歴史において、否定存在論的孔穴は、いかに閉塞され、あるいは隠蔽されてきたか? だが、今や、いかにそのようなごまかしは不可能となってきているか? では、そのとき、我々はいかに生きることができるか? さらに、ラカンとラカン派精神分析家にとっては、第四の問い-実践的な問い-が措定される。そのような現代の状況において、「精神分析家である」とはいかなることであり得、精神分析家は精神分析をいかなるものとして実践し得るか?それらの問いを、本書において問うていく。
内容説明
精神分析はどのように基礎づけられるか?この問いを手がかりに、ラカンがいかに多くをハイデガーに負うているかを解き明かし、さらには、ラカンとラカン派分析家にとって「精神分析家である」とはいかなることであり、分析家は精神分析をいかなるものとして実践し得るかまでを問う画期の書。
目次
1 否定存在論的トポロジーの導入
2 ハィデガーの思考と否定存在論的トポロジー
3 異状の否定存在論的構造
4 異状から昇華へ―精神分析の倫理
5 女性性について
6 ジャックアラン・ミレールを批判する―彼のラカン読解とセミネール編纂の誤りについて
付録
著者等紹介
小笠原晋也[オガサワラシンヤ]
1956年生。1981年名古屋大学医学部卒業。1988年パリ第8大学でle dipl^ome d’´etudes approfondies en psychanalyseを取得。Jacques‐Alain Miller、Colette Soler、G´erard Haddadに教育分析を受け、都内で開業(東京精神分析クリニック)。東京ラカン塾主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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- 和書
- 経験としての自然