表象の奈落―フィクションと思考の動体視力 (新装版)

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  • サイズ B6判/ページ数 373p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784791770687
  • NDC分類 704
  • Cコード C0010

出版社内容情報

不可能性を超えて、事件を炸裂させる〈力〉
バルト、ドゥルーズ、デリダ、フーコーそしてフローベール。「批評」は他者の言説の中でまどろむ記号に触れ、それを目覚めさせることから始まる。読むことで潜在的なものは顕在化しその覚醒によって他者の言説は誰のものでもない言説へと変容する。不朽の「批評」論集。新装にて復刊。

蓮實重彦[ハスミシゲヒコ]
著・文・その他

内容説明

バルト、ドゥルーズ、デリダ、フーコー、そしてフローベール―「批評」は他者の言説の中でまどろむ記号に触れ、それを目覚めさせることから始まる。読むことで潜在的なものは顕在化しその覚醒によって他者の言説は誰のものでもない言説へと変容する。不朽の「批評」論集。

目次

1 墓の彼方の追想(倦怠する彼自身のいたわり―ロラン・バルト追悼;ジル・ドゥルーズと「恩寵」―あたかも、ギリシャ人のように ほか)
2 フーコーの世紀(フーコーと“十九世紀”―われわれにとって、なお、同時代的な;視線のテクノロジー―フーコーの「矛盾」 ほか)
3 記号と運動(「魂」の唯物論的擁護にむけて―ソシュールの記号概念をめぐって;視線、物語、断片―ボッティチェルリの『春』と『ヴィーナスの誕生』 ほか)
4 近代の散文(『ブヴァールとペキュシェ』論―固有名詞と人称について;曖昧さの均衡―セリーヌ著『北』を読む ほか)
5 フィクション、理論を超えて(エンマ・ボヴァリーとリチャード・ニクソン―『ボヴァリー夫人』とフィクション;「『赤』の誘惑」をめぐって―フィクションについてのソウルでの考察 ほか)

著者等紹介

蓮實重彦[ハスミシゲヒコ]
1936(昭和11)年東京生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業、65年パリ大学文学人文学部から博士号を取得。東京大学教養学部教授を経て93年から95年まで教養学部長、95年から97年まで副学長を歴任し、97年4月から2001年3月まで第26代総長。1999年に、芸術文化コマンドゥール勲章受章。主な著書に、『反=日本語論』(1977年、読売文学賞)『監督 小津安二郎』(1983年、仏訳版でフランス映画批評家連盟文芸賞)『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』(1989年、芸術選奨文部大臣賞)など多数。小説に、『陥没地帯』(1986年)『オペラ・オペラシオネル』(1994年)『伯爵夫人』(2016年、三島由紀夫賞)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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しゅん

10
以前『「赤」の誘惑』を読んだときに問題設定が呑み込めずにいたのだけど、こちらから開けた。哲学書や論文、つまり論旨と事実と目的に基づくと思われる書物を、別の場所に艶めかしく開くこと。艶めかしさを生む手段として、テクスト細部への執着が要請される。「フィクション」と「批評」はその場所で同義になる。このあたりから私の論旨は混乱するが、「フィクション」と「批評」の重なる場は、およそ存在不可能なものとして描かれる。可能と不可能を同時に示すのが蓮實の手段。ヴァレリーが「小説」を否定することにも似た両義性がある。2022/06/17

hryk

1
もっとも面白く読んだのが「『ブヴァールとペキュシェ』論」。Bouvart et Pécuchet が小説のタイトルであり、登場人物の名前でもあるという、それがどうした的事実から説き起こして、「テクストの形式的問題」を浮かび上がらせる鮮やかな手付きを堪能した。「彼ら」「同僚たち」をめぐる分析は読んでるこちらも興奮する。ただ、残念なのは、本書全体に誤植が異様に多いところ。旧版から直ってないのだろう。2018/08/13

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