リスク化される身体―現代医学と統治のテクノロジー

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ B6判/ページ数 250,/高さ 20cm
  • 商品コード 9784791766673
  • NDC分類 498.04
  • Cコード C0010

内容説明

メタボリックシンドローム、パンデミック、医療「崩壊」、大震災…。私たちはいま、ミクロからマクロまで無数のリスクに脅え、絶えず自己管理を迫られている。こうした風景がもはや日常化した現代社会の知られざる陥穽を、精緻な分析のもとで明らかにする。

目次

序章 リスク論の視座
第1章 リスクの医学―病の変容
第2章 リスクパニックの時代―疫病としてのインフルエンザ
第3章 グローバリゼーションと身体のテクノロジーの変容
補論 「ミルク、それともレモン?」福祉国家と選択の自由
第4章 安全への欲望と医療「崩壊」
第5章 神経経済人の憂うつ
最終章 リスク社会1986/2011―東日本大震災再考

著者等紹介

美馬達哉[ミマタツヤ]
1966年生まれ。京都大学大学院医学研究科博士課程修了。現在、京都大学大学院医学研究科准教授(脳機能総合研究センター)。専門は、臨床脳生理学、医療社会学、医療人類学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Schuhschnabel

3
発達障害や低身長を病気とみなし治療の対象にする、よく言われる「医療化」とは異なるタイプの医療による社会的介入の例が示されている。例えば、メタボリックシンドロームと診断された人に対して「あなたは通常に比べて〇倍心筋梗塞を起こしやすいです」と告げるようなことだ。今日の公衆衛生活動は、リスクという脅しをもって病気を起こしにくい身体そして社会を作っていくという、フーコーが指摘する規律=訓練と集団に対するアプローチに基盤を置く生-権力に、さらに死に至る病気への恐怖を付け加えた強大な権力を持つことになる。2018/03/26

takao

2
ふむ2023/02/11

メルセ・ひすい

2
初出紙 『現代思想』2000年代以降 現代社会での「リスクを通じた統治」の解明をめざす。まず、リスクと神経科学。 パンデミック、医療崩壊、大震災…。人々はいま、無数のリスクに脅え、絶えず自己管理を迫られている。こうした風景がもはや日常化した現代社会の知られざる陥穽を、精緻な分析のもとで明らかにする。リスク論の視座 医学 リスクパニック グローバリゼーションと身体のテクノロジーの変容 安全への欲望と医療 神経経済人の憂鬱 最終章 リスク社会1986/2011 2013/02/22

koji

1
本書の結論は、リスク社会の現状は「ケインズ主義的福祉国家のリスク」から「リスクを積極的に価値づけるネオリベラリズム的なリスク」への変容と特徴づけ、中でもリスクへの予防的介入が個人の選択の自由へと移行していく中で、危害の発生の評価とその意味づけは確率的・集団的なものに留まっていること、その帰結は、人々が国家・専門家に従わない愚行の自由を行使し始め蜂起し始めることにあるとします。著者は、その結論に「希望」を見いだそうとするものですが、かなり議論を呼びそうです。必ずしも読みやすくはないですが、示唆に富む書です。2013/08/15

Mealla0v0

0
「リスクを通じた統治」をテーマに医療を中心に分析した現代社会批判。フーコー派社会学者のリスク論とベック=ギデンズ=バウマンのリスク社会論を上手く接合しながら、リスクの分配に伴う予防のテクノロジーの増長を見据える。そして、予防という観点からすればシュミット的発想こそが有効であるという危険性を説き、リスクパニックの「恐怖という疫病」っぷりを射抜く。神経経済学をモデルとしたニューロ権力の構造を剔出し、災害と戦争の統治におけるリスク予防の原理を指摘するが、なんてスリリングなことか。最終章は特に必読すべし。2017/08/30

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/5674325
  • ご注意事項