内容説明
臓器移植、遺伝子操作、脳科学からiPS細胞…。生命科学における「技術」の進歩は、私たちの「生命」の捉え方を大きく変貌させた。「生」のありようを考察しつづけてきた著者の集大成にして、あたらしい時代の生命哲学。
目次
第1章 ヴィータ・テクニカの哲学へ
第2章 生態学的転回について
第3章 生命における主体/生態における視点
第4章 確率・環境・自己
第5章 テクネーとしての自己
第6章 ゲシュテルとパノプティコン
第7章 マイナーテクノロジーとメタリック生命体
終章 ヴィータ・テクニカ問題集
著者等紹介
桧垣立哉[ヒガキタツヤ]
1964年埼玉県生まれ。1992年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中途退学。現在、大阪大学大学院人間科学研究科教授。専門は現代フランス哲学・日本哲学・生命論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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袖崎いたる
4
技術の哲学を味わおうと思い。フーコーがデカい。ドゥルーズやハイデガーの領域を浚いつつ、技術の問いを物質=質料性へと引き直す。そこではまったき受動性的でありつつ、テクニカルにそうした受動の次元へと関与しようとする、能動性的でもあるという、存在論が浮かぶ。これぞヴィータ=生命性となるわけで、今後の技術の哲学には踏まえられて然るべしといった著者の大いなる確信を感じる。いろいろ使えそうなアイデアも多く、まだまだ啓蒙されていきそうな読書であったよ。、2024/06/12
Mealla0v0
1
ヴィータ・テクニカの名にふさわしく、本書のテーマは技術と生命。どちらもフーコーの問題系である。生命はなによりも技術的なものであると言うのだ。個体でありかつ生態系に分散した生命という見解を、生態学やドーキンスの議論から引き出しつつ、規律権力と生政治、ひいては統治性へと引きつけていく。晩年の自己論とはなによりも生命としての自己なのだと。そして、パノプティコンとゲシュテルの交錯を描きながら、その限界(国家という規定)をDGによって乗り越えようとする。そこに、ベンヤミン、さらには京都学派との重なりがあると言う。2018/05/25
madofrapunzel
1
★★★★☆ 桧垣さんの癖というか、「〇〇的な」という描写は、それが指し示している論考や書物の内容を知らないとちゃんとした理解にならないので、そこが読者に不親切だなと思いました。本書の主張はとてもシンプル! 生命とは何よりもまず、「圧倒的な物質的=質量性」だということ! あまりにも無根拠に人道主義に傾きがちな昨今の「生命論」に、大きな楔を本作によってうちこむことになるだろうと思います。2012/04/22