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出版社内容情報
増補新版
内容説明
自ら命を絶った“生の哲学者”ドゥルーズ。病への治療を拒否して逝った“生=権力の考古学者”フーコー。現代を代表する二人の哲学者の全思想を「世界は映画である」というテーゼの上で出会わせ、死と崩壊へ向かう生の過程を凝視する新しい哲学を提示する。“崩壊以後”の映画としてのイーストウッド論を増補。
目次
1 ドゥルーズによるドゥルーズ
2 ドゥルーズによる映画
3 映画によるフーコー
4 フーコーによるフーコー
5 ドゥルーズ・映画・フーコー
増補 報いなき受苦の祝祭―イーストウッド映画の倫理
著者等紹介
丹生谷貴志[ニブヤタカシ]
1954年生まれ。東京芸術大学卒業。神戸市外国語大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
mittsko
6
ドゥルーズ的な映画論そのものだった フーコーをそこに絡めるのも ドゥルーズ読みとしてはまっとうな道筋 この作業から痛感させられるのは、ドゥルーズの映画論がいかなる高みへと達しているか、それを乗り越えるのがどれだけ難しいか(べつに乗り越えなくてもいいんだが…)、ということ なお、ボクが本書で面白かったのは なんといっても作品評だ とてもみごとな評論、批評だと思う 一方、フランス現代思想の解説は 勉強の導きとして有用で、それだけですばらしい仕事なんだが 思想上での動的な展開は見出せなかった その先はどこに…?2015/06/25
t78h1
3
私たちの世界はすべて主観のなかのか。いわば、すべて「イマージュ」であるのか。ではイマージュの外部は存在するのか。いや、「イマージュの外部というイマージュ」しか存在しないのだ。2010/11/03
Nobody1
2
映画としての世界は決定的に自由を奪われた場所として現れてくるだろう2015/09/25
n_kurita
1
何となくだが、自分の書いている内容に酔っているように感じてしまった。単語のチョイスが若干気持ち悪い時がある。また、「(哲学者の名前)的な〜」という表現が多用されている。名前だけ知っていてもその哲学者の思想を知らないと、何を言わんとしているのかニュアンスが分かりづらい。「そんくらい知っとけ」という事なのかもしれないが…無知ですみませんとしか言えない…2020/04/24
フォンテーヌ赤井
0
特別面白いわけでもないけれど、「イーストウッド論」と「サルトル・メルロ=ポンティ・レヴィ=ストロース・映画」に関する話は二、三度読み返すほどの愉しさがあった2023/10/13