内容説明
〈知〉とは〈眼差し〉による世界認識に他ならず、〈眼差し〉に切り刻まれた微細な断片と化した自然のあくなき所有願望こそ、〈知〉に囚われた近代人の病理と言えよう。文化としての〈眼差し〉の生成と展開を、18世紀より現代にまで通底するピクチュアレスク美学によって検証し、視線に呪縛された今日の思想と芸術の脱構築を計る大胆な評論。
目次
星のない劇場
王権神授のドラマトゥルギー―遠近法の政治学
目の中の劇場―ゴシック的視覚の観念史
庭の畸型学―凸面鏡の中の〈近代〉の自画像
迷宮の言語都市―アンチ・ピクチュアレスクの一形式〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
白義
10
視覚文化論、なかんずく、18世紀から19世紀にかけて隆盛を誇った、「驚異と崇高の美学」、絵画的に世界を眼差すことによる占有と世界の疎外、それの徹底や反動としての迷宮文化に関わる諸々の文化装置の、そのシステムを解説している。庭園、ファッション、劇場、見世物…今で言う「近代」と「ポストモダン」が一つの現象の中に共存し、飽くなき驚異の探求が倦怠を生みその倦怠ゆえに更なる驚異を求め感覚が膨張し循環する世界を描いている。その視野からヘンリー・ジェイムズやディケンズを再び捉える英文学論としても力作2013/03/01
ミスター
5
勉強になった。いわゆる「近代」と呼ばれるモーメントのなかにポストモダンな価値相対主義や浮遊感みたいなものがあらかじめ組み込まれており、筆者はそれを遠近法のパースペクティブとして問題にあげている。たくさん引用されているのがイェイツだが、わたしも前から『記憶術』を読みたいなと思っていた。ある種の見える化というのが近代人の病であり、権力装置はそこから起動するのであるということ。例えば天皇制も実は見える化の問題を孕んでいる。これは竹中労や平岡正明が扱っていた問題とつながるのではあるまいか。2020/07/04
あかふく
1
ここで四方八方に散らかされた様々な、鋭い批評が、それは主に「ピクチャレスク」など<近代>の「視」に関わるものであったが、『庭の綺想学』で理論として丁寧に整理されるという高山宏の流れで良いのかしら。『庭の…』にも「庭の畸形学」は入っていますが。いずれにしろ、「光学の都の反光学」などなどを理解して、自分の理論に使おうとするのは魅力的でありながら中々怖い……。2012/06/19
ぎんしょう
0
<視>に関わる問題を扱う一冊。高山宏の現在まで続く思考の基盤になっているところが見えるかもしれない。ファンタスマゴリアなどについては、この後テリー・キャッスルの『女体温計』が出るので、そこで少し深まるだろうけれども、十分に様々な議論を展開できる素材があり面白い。要はガラスと鏡で、そういった「隔てながら見せる」という矛盾した思考がどのようなものを生みだすのかということが詳述される。2012/02/25