内容説明
ブタもクジラも食べるのに、イヌやネコはなぜ食べないのか?宮澤賢治「よだかの星」、食育の実験授業「豚のPちゃん」、反捕鯨映画『ザ・コーヴ』…食をめぐる身近な素材を、フランス現代哲学と日本哲学のマリアージュで独創的に調理し、濃厚な味わいに仕上げたエッセイ。食の隠れた本質に迫る逸品。
目次
0 付き出し われわれは何かを殺して食べている
1 前菜 料理の技法―味・レヴィ=ストロース・腐敗
2 オードヴル カニバリズムの忌避―法の外のタブー
3 スープ 時空を超える宮澤賢治―生命のカニバリズム
4 肉料理 食べることは教えられるのか―「豚のPちゃん」から学ぶこと
5 海産料理 食べてよいもの/食べてはならないもの―イルカ・クジラ漁と『ザ・コーヴ』の真実
6 デセール 人間は毒を喰う―アルコール、嗜好品、デザート
7 食後の小菓子 食べないことの哲学―絶食と拒食
著者等紹介
檜垣立哉[ヒガキタツヤ]
1964年埼玉県生まれ。フランスの現代思想を縦横無尽に駆使し生命論に挑む哲学者。大阪大学大学院人間科学研究科教授。博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ネコ虎
11
興味深いテーマなのだが、全てが曖昧で中途半端。わかりやすそうに書かれているのだが、論理立てになるほどという納得性が欠けるので、深い思索に到達せず、宙ぶらりんの不安定状態に置かれる。食べるというテーマは考えるととても難しいと思われるが、料理の仕方が下手なのが残念だ。2020/01/24
フリウリ
7
「正しく無責任であること、これが食と殺すことを目の前にした人間が、社会のなかで平穏に暮らそうとおもったときになせる唯一のことではないだろうか」と著者はいいます。また、理屈の世界(言語の世界、言語が支配する法律的な世界)は人間に責任を求めたがるが、その世界は、人間が動物的身体をもつことがあからさまになる場面(食や性)とは決して折り合わないこと、そして動物的身体をもつ人間を切り捨てていくことは「虚偽」である、ともいっています。「町内一の無責任人間」を密かに自負している私としては、とてもよくわかる内容でした。72024/03/06
elsa
6
顔を食べろというのは、たんなるカンニバルなものではなく、相当な抵抗感をひきおこすものである。(p63)/豚は…植物とは違う圧倒的な存在感がある。そこには、豚が四肢動物であり、人間と同一の、相当に感情移入が可能な身体の構造をしている…が理由でもある(p113)▽私は魚の顔を食べるのが好きで抵抗感もないが(頰がとくにおいしい!)それは四肢動物ではないから?しかし四肢動物の顔の一部である豚の耳を食べるのも罪悪感を感じず美味しく食べてしまう。「パック詰めの肉」に慣れてしまいすぎて動物の痛みが感じられない現代病。2019/07/08
トッシー7
6
食べ物は「ほとんどが生きたもの」であることは、考えれば誰にでもわかることだが、普段はそれを感じさせない仕組みが出来上がっている。 私は屠殺場を見たこともないし、どこにあるかも知らない。ベトナムなどの市場でブタの顔が売られているのを見る時くらいしか、普段食べている豚肉があの顔のブタの肉なんだななどと思わなくてすむようにっている。 色々なことを考える良い機会になった。2018/12/12
織田秋葉
4
哲学が何たるかが良くわかっていない人なので、どのあたりが哲学だったのかは今一つ理解できなかったけれど、タイトルの割には面白く読みました。 ストロースは名前はよく聞くけれど、何をした人なのかあまりしらなかったので、これからは料理の人として認識されそう。火にかけたものと腐ったものという比較はなかなか面白い。確かに、主に米国に代表される、焼いたものにケチャップをどかんとかけて食べる食事っていうのは、だしを愛する我ら日本人にはそればかり続くとしんどいのかも。 ブタのPちゃんについては、本作でも紹介されていた映画→2018/05/22