ドーニャ・フランシスカ・ピサロの生涯 1534‐1598―征服者(コンキスタドール)ピサロの娘(メスティーサ)

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  • サイズ B6判/ページ数 229p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784790713500
  • NDC分類 289.3
  • Cコード C1022

出版社内容情報

16世紀アンデス世界を襲った二つの異なる価値観のコンフリクトの渦中に生まれた「混血」女性の生きざまを一次史料から解き明かす

内容説明

16世紀アンデス世界を襲った異なる価値観の激しいコンフリクトの渦中に生まれた「混血」女性の生きざまを、一次史料から解き明かす。

目次

ドーニャ・フランシスカの母方祖先
マンコ二世の反乱諸王の都リマの包囲 先住民女性たちの態度
ピサロ、ドーニャ・イネスと別れ、彼女をスペイン人に嫁がせる
リマの妖術裁判
ドーニャ・イネス・ムニョスと少女時代のドーニャ・フランシスカ
ドーニャ・フランシスカのエンコミエンダ
ドーニャ・フランシスカの最初の遺言書
スペイン渡航
エルナンド・ピサロ
イサベル・メルカード
初婚
子どもたち
再婚
後裔
ドーニャ・フランシスカとガルシラソ・デ・ラ・ベガの幼年時代
同時代を生きた二人の女性
まとめ

著者等紹介

ロストウォロフスキ・デ・ディエス・カンセコ,マリア[ロストウォロフスキデディエスカンセコ,マリア][Rostworowski de Diez Canseco,Mar´ia]
1915年リマ市に生まれる。幼いころに家族とともにヨーロッパへ渡り、ポーランド、フランス、イギリスやベルギーなどで教育を受けたあと、二十歳ごろペルーへ帰国。その後、リマにあるアメリカ大陸最古の大学サン・マルコス大学の歴史学者ラウル・ポッラス・バレネチェアの親炙に浴し、伝統的な欧米型ペルー史像から脱却した新しい「ペルー史」の構築に力を注ぐ。ペルー問題研究所Instituto de Estudios Peruanos(IEP)の創設に参加し、ペルーを代表する文化人として数多の要職を歴任するかたわら、つぎつぎと貴重な研究成果を発表している

染田秀藤[ソメダヒデフジ]
大阪大学大学院人間科学研究科(地域研究講座)教授。専攻:ラテンアメリカ史(植民地時代)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

崩紫サロメ

13
インカ帝国の征服者ピサロとインカ皇女の間に生まれた娘フランシスカの生涯を綴った研究書の一部を省略して出版した本。普通では読めないような遺言書、訴訟文書など貴重な一次史料が満載で、面白い。フランシスカのような混血女性のあり方はペルーという国のアイデンティティともジェンダーという価値観からも注目されており、本書は第三版からの翻訳である。2020/06/26

Arte

1
最も裕福なメスティソ、ピサロの娘の話。母はインカ王の娘だけど、母の母は地方豪族の娘なので、それほど地位は高くないよう。幼い頃に母と引き離されてスペイン風の教育を受け、スペイン王がピサロとインカ王の娘との子を南アメリカに残すことを嫌ったため、スペインに移住させられる。母はピサロと別れた後もスペイン人と結婚させられるし、娘も最初の結婚相手はピサロの兄だし、なんか大変そうだが、スペイン人に征服されていなくても、インカの王族女性なら似たような感じなんだろうな。2024/02/14

レイナ

1
かのF.ピサロとインカ王女との間に生まれた娘の生涯を紹介する、世界随一の研究書。延々と事実・推測の羅列が続き退屈するが、彼女について判明していること自体が少ないので仕方ないかも。2010/04/19

Mana

1
ドーニャ・フランシスカはスペインのピサロとインカの皇女ドーニャ・イネスの間に生まれて認知(?)もちゃんと受けていたらしい。スペインに渡って2回結婚もしている。文章が読みにくかった。内容もとても良く調べてあるとは思うけどあんまり面白くはない。読んでてドーニャ・フランシスカの人間性が伝わってこない。あとピサロの一族が結構良く描かれているけど美化のしすぎか正当な評価なのかはこれだけじゃ判断付けづらい。著者はリマ生まれで他にもインカ帝国に関する著書(もっと初心者向けも)出しているみたいなのでそちらを読んでみたい。2011/08/01

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