出版社内容情報
はじめに―はちゃめちゃな息子がプレゼントしてくれた楽しい人生
この本は発達障がいに苦しんだ息子と母の私、そして家族が発達障がいとうまく付き合うための工夫を重ね、人生に色を取り戻し、穏やかで幸せな毎日を送るようになるまでの「旅路」を記すものです。
私がなぜ本の執筆という大それたことに挑戦しているかと言いますと、2022年2月に刊行された『死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由』という息子の著書がユニークだと少なくない評判を呼び、今度は親の私に「子育ての経験を書いてみないか」かとお誘いいただいたからです。
息子の本は当時はまだ現在ほど有名ではなかった麹町中学校の工藤勇一先生から学んだことを生かし、少しずつ「死にたい」という気持ちを手放していくまでを綴ったものです。自分と同じような境遇で苦しんでいる子どもたちの役にたちたいと考えた息子が、自身の失敗やトラブルも包み隠さずに明かしています。発達障害の当事者が感じていることや内面がよく分かる内容で親としても「こんなこと考えていたのか」と驚かされることもたくさんありました。
出版社さんからは息子がここまで冷静に自分の内面を見つめられるようになった子育ての秘訣を、親の視点から書いてほしいと言われています。息子が小さかった頃に比べますと現在は専門家によるたくさんの育児書や当事者の書かれたハウツー本がたくさんあります。どれも非常に素晴らしく役立つ内容ばかりで、今さら専門家でもない私が書いた本など不要ではないかと悩みました。
けれど編集者さんから「幹之佑さんの本では、ご家族や工藤先生をはじめとした教育関係者、医師など、たくさんの方からサポートがあったことが分かりました。19歳の今の息子さんが笑顔になれる環境を整えたのはご両親です。その経験を書いた本は必ず誰かの役に立ちます」と言われて、覚悟を決めてお引き受けすることにしました。
私たち家族にとって、はちゃめちゃな息子の特性があればこそ生まれた素晴らしい出会いもたくさんありました。本書には数々の素晴らしい専門家やプロフェッショナルの方々のお名前を出させてもらっていますが全て息子がつないでくれたご縁です。
失敗もたくさん繰り返し涙したことも多々ありますが、今振り返るとそんな日からの数多くの学びを得て、生きる意義を考え自らの人生を豊かにすることにつながったように気がします。
そんなふうに私を楽しませてくれた息子に敬意をあらわし、本書では「発達障がい」という言葉を使わずに「特性のある子」「難しい子」といった言葉を使います。私自身が19年間の子育ての日々の中で息子に対して私ができる限り使うようにし、何より周りの人からも息子に対して使ってほしかった言葉だからです。
息子が『死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由』を世に出した理由と同じように、今も日本のどこかで頑張っているもう一人の私に寄り添えるよう心をこめて書いたつもりです。読んでくださる皆さまのお役に立てることができたら、これほど嬉しいことはありません。
内容説明
こんな発達障がいの本が欲しかった!!笑って泣けてきっと明日への活力がわいてくる!!発達障がいに苦しんだ本人とその親だからこそ分かる「等身大」のエピソード。
目次
PART 1 特性のあるわが子への接し方(「告知」は自律の一歩;子どもへの告知が怖い方へお伝えしたいこと ほか)
PART 2 学校生活で親ができる工夫(学校とのお付き合いの仕方;学校をリスペクトしながら要望ははっきりお伝えする ほか)
PART 3 学校がつらいときのサポート(大前提は「登校することはすごい」こと;「学校が嫌」という言葉の裏を考える ほか)
PART 4 逆境の乗り越え方(「長距離走」だと思って子育てする;ベストな選択ができなくてもよい ほか)
著者等紹介
西川裕子[ニシカワヒロコ]
新潟県三条市生まれ。高校3年時に母の看病のため大学受験を断念。母の回復に伴い、東京都内予備校の寮に入りながら受験をする。駒澤大学法学部法律学科卒。夫は渉外弁護士の西川高幹。2002年に長男・幹之佑が誕生。ADHDとASD傾向、LDの特性のある息子の子育てを通じて、元麹町中学校校長・工藤勇一先生やあいクリニック・西松能子先生、帝京大学教授・魚山秀一先生など、数々の貴重な出会いを得て、特性のある子どもへの理解を深める。現在は、発達障がいの子育てに関する講演、メディア出演などもおこなっている。2児の母
西川幹之佑[ニシカワミキノスケ]
2002年、新潟県三条市生まれ、東京育ち。幼稚園中退。千代田区麹町中学校、英国・帝京ロンドン学園卒。2023年現在、帝京大学法学部政治学科在籍中。高祖父は帝大の教授で測機舎の創業者である西川末三、高祖母はロシア文学の翻訳と社会運動家として有名な神川松子。高祖父から4代続けて東大卒の家系に生まれ、周囲から東大入学が当然と期待されるもADHDとASD傾向、LDのため小学校2年生まで特別支援学級に在籍。その後通常学級に転籍したものの学習面・社会面で壁にぶつかり、生きる意義を見失い小学校3年生で死を考えはじめる。小学校卒業後、当時麹町中学校校長であった工藤勇一先生に出会い、「自律」という考え方を学び人生が一変する。自分のように苦しむ発達障がい児の役に立ちたいと考え、2021年2月に『死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由―麹町中学校で工藤勇一先生から学んだこと』(時事通信社)を上梓(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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