出版社内容情報
恋が誘惑であるならば、語ることも誘惑だ。「誘惑」をキーワードとして、ソシュール及びソシュール以後の言語理論、とくに丸山圭三郎、柄谷行人らの理論を批判的に読解しつつ、みずからも誘惑的な言語論を展開する。
内容説明
話すこと、それは誘惑することだ。誘惑すること、愛することを通じて人は異文化と衝突し、他者に出会う。気鋭の言語学者がナルシシックな現代人に贈る、交通(インターコース)への呼びかけ。
目次
序 反時代的倫理としての誘惑
第1部 誘惑論へむけて(恋愛の記号学;誘惑について;意味について;話すこと、それは誘惑することだ;誘惑者の戦略;メタファー・ゲーム;愛、固有名詞、交通)
第2部 言語と〈しての〉主体(ソシュールとガス;カオスと〈しての〉言語;反言語学の冒険;言語と〈しての〉主体)
付章 『誘惑論』について
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
(C17H26O4)
80
メモ。恋する人は相手の発するシニフィアンを読み取りたい。シニフィエを知りたいと思ってしまう。無意味は恐怖だから。言葉以外にも仕草や行動など様々なものを記号と見立て読み取ろうとするとき、シニフィアンスに立ち会っている。他者を誘惑するとき、自分の発する記号は自分から逃れ、意味の決定権は誘惑されている方に属している。そもそも誘惑者と相手の間に言語ゲームが成立しているかどうかも不確かである。他者を動かそうとしているにもかかわらず、実際は自分が動かされているパラドキシカルな体験。「意味の受難」の体験である。2020/07/19