ヤマト王権の古代学―「おおやまと」の王から倭国の王へ

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ヤマト王権の古代学―「おおやまと」の王から倭国の王へ

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  • サイズ A5判/ページ数 269p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784787720023
  • NDC分類 210.2
  • Cコード C1021

内容説明

ヤマト王権とは何か。弥生時代に、奈良盆地でもっとも高い生産力をもった地域集団は、古墳時代におおやまとの支配を実現し、王権を確立した。そして、しだいにその支配領域を拡大し、5世紀には倭国の王となり、6世紀に王と有力氏族による権力の仕組みを完成させた。

目次

序章 ヤマト王権とは何か
第1章 神武天皇と「闕史八代」―つくられた歴史と陵墓
第2章 中国の史書にあらわれた倭国―奴国と伊都国の時代
第3章 倭国分立の時代のヤマト―唐古・鍵遺跡と「おおやまと」の「クニ」
第4章 邪馬台国の所在地
第5章 ヤマト王権の誕生
第6章 「おおやまと」の王墓―「おおやまと」古墳群の形成
第7章 ヤマト王権と三角縁神獣鏡
第8章 ヤマト王権と有力地域集団―大王と民族の出自
結章 ヤマトの王から倭国の王へ

著者等紹介

坂靖[バンヤスシ]
1961年生まれ。同志社大学大学院文学研究科修了、博士(文化史学)。奈良県立橿原考古学研究所附属博物館学芸課長を経て、現在、奈良県地域振興部文化財保存課主幹(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

月をみるもの

22
ここ数年の古代史の勉強成果の総まとめ・復習に最適な一冊だった。吉備や出雲までは雄略がいったん抑えたものの、その後は再度混乱状態となった倭国。それを東海や北陸の力によって再統一したのが継体。結局のところ、倭国の統一も半島の統一とそんなに時期は変わらなかったということみたい。残念なのは、東国ネタの少なさ(最終章で、ちょろっと武蔵国造の乱が出てくるだけ、、)。西の境界たる半島・大陸だけでなく、東の境界も「この国のかたち」を決める大きな要因だったはずなのだから、次作ではぜひ。2021/12/29

はるわか

9
「おおやまと」古墳集団を出発点としたヤマト王権は古墳時代前期後半に佐紀古墳集団をとり込み、前期末葉にカワチ地方まで版図を広げ、5世紀にイズミ地方まで進出、中国冊封体制のもと倭国王を輩出。しかし氏族の淵源となった有力地域集団は奈良盆地各地に独自の支配領域をもち、ヤマト王権との間に危ない均衡を保つ。6世紀はじめ新しく倭国王についた継体大王はコシ、オワリ、オウミ、セッツ、カワチを政権基盤として新しい王権を創始。手白香皇女を皇后に新しい王権の正当性を主張。北部九州で磐井の反乱を鎮め専制国家体制の基盤を整えた。2020/09/22

どら猫さとっち

5
ヤマト王権とは何か?古代の王から天皇に移り変わる転換期は?あまり知られていない古代学から読み解いていく、この国の王のかたち。古代学にはあまり惹かれない僕も、本書はとても面白く読んだ。また出土品や古墳の内部も見ることができて、ヤマト王権のすごさも実感。僕のSNSの知り合いが薦めた本とあって、読んでいたらかなり熱心に読んでいた。専門的な内容だが、古代史ファンには興味深い一冊である。2021/11/15

A.Sakurai

5
『鏡の古代史』で邪馬台国時代の240年ころにいきなり古墳時代が始まり対外関係が北九州から奈良盆地に移動したことを鏡の研究から実証していたが、移動の経緯は不明だった。当時の畿内の研究はどうなっているかと新刊の中から選んでみたのが本書。類似書は多いのだが、本書は集落遺跡と土器を使って検証している。北九州から奈良盆地への対外中心の移動は同じだが、庄内式土器の推定年代から時期はもっと後だとしている。邪馬台国は北九州。その後3世紀から5世紀にかけて奈良盆地南東部の集団が徐々に勢力を伸ばしてヤマト王権になったとする。2020/03/28

ウォーカージョン

4
日本書紀や古事記の記述は、有力氏族が権威づけのために後付けしたものだ。ヤマトの王は地域の有力者に過ぎなかった。ただ、全国的には少しは影響力があったかも。前方後円墳が全国にあるから。2020/10/06

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