保田與重郎文庫<br> 改版 日本の橋

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保田與重郎文庫
改版 日本の橋

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  • サイズ 文庫判/ページ数 179p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784786800221
  • NDC分類 914.6
  • Cコード C0195

内容説明

「文学界」に掲載された「日本の橋」とその他の著作によって、中村光夫とともに保田が第一回池谷信三郎賞を受けたのは昭和十一年、二十七歳の時だった。同作品を巻頭に「誰ケ袖屏風」ほか四篇を内容とする単行本『日本の橋』が刊行されたのが同年十一月二十一日、奥付の発行日に従えば、『英雄と詩人』に先んじること四日、処女評論集に位置づけられる。早く二十歳の頃に発想の萌芽が認められる「日本の橋」は、橋の形態や架橋の精神を考察し、日本と西欧の本質的な差異を発見したユニークで類ない文芸評論として、その斬新さに文壇の注目が集まり、読書界に広く迎えられた。本文庫に収めたのは、同題前著から、大幅に加筆修正した「日本の橋」と「誰ケ袖屏風」のみを残し、「河原操子」「木曽冠者」を新たに加えて昭和十四年に刊行された『改版日本の橋』である。

目次

誰ケ袖屏風
日本の橋
河原操子
木曽冠者

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

34
バルト『エッフェル塔』では、塔は大地と空を繋ぐ橋であり、人が克服するものを統合する象徴だと論じられています。塔よりも人と人とを繋ぐ橋にこそ、身体性(エクリチュール)の可能性があるようにみえますが、本書は他者と出会う様には書かれていません。冒頭で「その橋が小さい」だけでなく「めったに人も通ってゐない」と、否定性の契機に言葉(エクリチュール)が生まれるのかと気を取り直して読みますが、「橋」は「端」であり道の終わりで、道の果てに水の上を超え流れの上を渡ると、何にも出会わない何も繋げない終始ぼんやりした文章です。2021/07/08

yumiha

26
保田与重郎を、加藤周一は「情念で戦争支持の気分を煽った」と言う(『言葉と戦車を見すえて』)。一方青木亮人は、「日本の古典を正面から論じたのが、戦争協力者と見なされた」と言う(『その目、俳人につき』)。その微妙なところは、当人の著書『日本の橋』を読んでも、私には判断できなかった。ただ、この本を読んだ人には、これ以上の「日本の橋」を書くことはできないだろうと思った。橋の原初的な意味を添えて、歴史の中で風土の中で古典文学の中で、また人の心の中で浮かびがって来たものを掴み取っていると思った。2017/06/23

しゅん

15
西洋の「たくましい」人工の橋と日本の「まずしい」自然の(延長にある)橋を対比させ、橋の歴史や文化に対する随筆をいくつも並べながら、戦で命を落とした息子のために母が立てた橋のエピソードに最大限の賛美を加えて(「その永劫に美しい感傷」)最後を締めくくる。昭和11年に発表された表題作「日本の橋」の文意は、戦争や愛国の心を鼓舞するに十分であったろう。明治時代に中国・モンゴルを渡った教育者、河原操子に「女丈夫」とは異なる「日本女性の美しい心ばへ」を見出だす文と併せて読むと、感情と普遍性を繋げることの危うさを感じる。2018/10/05

双海(ふたみ)

11
「早く二十歳の頃に発想の萌芽が認められる「日本の橋」は、橋の形態や架橋の精神を考察し、日本と西欧の本質的な差異を発見したユニークで類ない文芸評論として、その斬新さに文壇の注目が集まり、読書界に広く迎えられた。」(カバーより)2014/03/27

ダイキ

7
保田與重郎といふ「日本の橋」を初めて眺めた時、私はその橋の畏しい程の崇高な様に愕然とし、未だ十数年のものながらわが人生の軽薄さを恥ざるを得なかつた。その恥とは決して辱めなどではなく、「はし」といふことを初めておぼえたものが当然に味はなければならない今生の痛みである。しかもその痛みはかなしいまでにゆかしくなつかしいおもひの伝へによつて永遠に救はれてゐた。たましひは「腋子」となり、涙の瀬音が遠く聞こえ始め、こころは素戔男尊のやうに「すがすがし」く、日本武尊のやうに「虚よりも翔り行かむ」としたのである。2016/06/30

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