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樺太(サハリン)が宝の島と呼ばれていたころ―海を渡った出稼ぎ日本人

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  • サイズ B6判/ページ数 255p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784784515448
  • NDC分類 366.8
  • Cコード C0030

内容説明

現在のロシアによって開発が進められているサハリンは、かつて日露戦争後、北緯50度以南が日本の領土「樺太」になった。「宝の島」とも「夢の島」とも呼ばれ、日本の財閥系企業が中心になって開発をすすめた樺太。北海道や東北の貧農や失業者が仕事を求めるなか、漁業や林業への出稼ぎが最も多かった。また、日韓併合以後に強制連行された朝鮮人も多く樺太に渡ったが、大半は炭鉱で働かされた。しかし、そうした人びとについての資料や記録は現在ほとんど残されていない。海を渡り極寒の地で生きた出稼ぎ日本人18人への聞き書きを通じ、近代日本の民衆史を掘り起こす。

目次

「宝の島」樺太(サハリン)の歴史
聞き書き1―樺太の林業(下請けの仕事もして―三浦憲治;凍った酒を切って売る―藤田与五郎;極寒の山で働く―松橋清左エ門;死人は雪に埋めて―佐々木計助;喧嘩とバクチの中で―金野留五郎;女のジャコと働く―安部金助;ロウソクの飯場暮らし―伊藤勝治郎;樺太まで片道一週間―鈴木金作)
聞き書き2―樺太の漁業(ニシンの大半は肥料に―中塚源吉;樺太で漁師に嫁ぐ―青山テツ;ニシンの来る音―三浦利七;樺太で三〇年も働く―菅原安蔵;樺太は魚の宝庫―三浦勝太郎;裸一つでニシン漁に―江戸八十八;寝ないで働くニシン漁―笠原市蔵)
聞き書き3―樺太に育ち、引揚げて(看護師として働く―鈴木シヨ;一歳で両親と樺太へ―鎌田ナミ;樺太に生まれる―金弘)

著者等紹介

野添憲治[ノゾエケンジ]
1935年、秋田県藤琴村(現・藤里町)に生まれる。新制中学を卒業後、山林や土方の出稼ぎ、国有林の作業員を経て、秋田総合職業訓練所を修了。木材業界紙記者、秋田放送ラジオキャスター、秋田経済法科大学講師(非常勤)などを経て著述業。『塩っぱい河をわたる』(福音館書店)で第42回産経児童出版文化賞を受賞(1995年)。『企業の戦争責任』『遺骨は叫ぶ』(ともに社会評論社)は第16回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞を受賞(2010年)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

読書家さん#2EIzez

5
読んだきっかけとしては、アメリカベルギー人のペンパルが貴族だということから系譜をずっと趣味にしており 自分の祖先に興味をもったことから、樺太の本を手にとった。 1905年から40年程日本の領土であった樺太は、森林漁業林業の宝庫で、秋田や北海道、内地からの出稼ぎ労働者が主に切り拓いたという。日本人が樺太へ出稼ぎに行くことは今後ないわけで証言者は老境に入っているらしい。漁業はニシンを始め鮭、マス、タラバガニ、昆布、寒天などがある。お給金は内地にくらべよかった向きもあったようだが零下20度の環境下で働く2025/07/05

スリカータ

2
非常に興味深く読んだ。樺太が宝の島と呼ばれて、生活苦から出稼ぎに行く東北の若者たちの体験談が生々しい肉声として綴られている。訛りがきついのでリアリティがありながらも、読み難く、意味がわからないところも多々あった。個人的には、エピソードの断片が繋がったかのような爽快感があった。上下2段に、びっしり書かれています。これまで語られることの少ない樺太について、よくぞ出版してくれた!という思いです。日本の戦前戦後の近代史。2016/02/07

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