内容説明
生き物の死が持つ共振性と向き合い、今とは違う死なせ方を考えるために。冷凍死させられるアカミミガメ、プールで生きる交雑種オオサンショウウオ、アニマルシェルターの猫、1970年代の昆虫採集論争、駆除されるヤマビル―現代社会においてどのように生き物を死なせてきたかを明らかにし、共存・共生という枠組みの外にあるそれらの死をどのように私たちがデザインすべきか考える。
目次
序章 他の生き物との共生・共存を逆向きに考える
第1章 アカミミガメは積み重なって死ぬ
第2章 交雑オオサンショウウオは廃校のプールで死ぬ
第3章 猫の死は公開される
第4章 この虫が滅びるならば、せめてこの手で
第5章 ヤマビルを殺す手ごたえ
第6章 生き物の死なせ方を考えるために
第7章 私たちはどう死なせるか
終章 結論
著者等紹介
渡邉悟史[ワタナベサトシ]
龍谷大学社会学部講師。博士(政策・メディア)(慶應義塾大学)。専門は地域社会学・人間動物関係論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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たまきら
37
生きものを「無意味に殺す」は、さわる。だからアカミミガメを「殺すぐらいなら引き取る」というiZooの白輪さんを、小笠原の島ネコ保護を応援するし、ニホンミツバチを保護している。最初読み始めた時には、著者の文章にイラっとしたが、この人が感じていることは自分が普段やるせなく思っていることでもある。…昔ダーウィンが来たで、伊豆でハリネズミが野生化しているエピソードが放映され、保護できないのか電話して聞いたことがある。答えは特定外来生物なので保護も飼育もできないとのこと。やるせない気持ちになったのを覚えている…。2026/02/24
ま
21
考察や結論は思いのほか難しかったが、印象に残ったのが「共振性」という考え方。生き物の死は、人間に悲しみや嫌悪、好奇心などさまざまな反応を引き起こす。そして人間は、その反応を弱めたり、別の(ポジティブな)意味へと転化したりしながら、「死なせ方」を位置づけて、生き物との関係を作っている。食肉加工によって屠殺を見えなくすること、動物園で動物の生を見せることも、違った形で人間と生き物の関係を浮かび上がらせる。何を見せ、何を見せないのか。今、見えなくなっているものは何だろう。2026/10/04
石橋陽子
16
生物の死に方ではなく死なせ方に興味をそそられ手に取る。オオサンショウウオが例に出てくるが、天然記念物であり、私の住む近くのとある廃校で飼われている話しで驚いた。場所は伏字になっているが見に行ったこともあるので間違いない。生物学という学問があるが、そこには生物を人間の意思で死なせて、解剖し研究した結果なのである。行きた生物を麻酔し、腹を切り開いていくグロテスクな過程は、当然学問として成り立っている生物全てに行われてきたことである。また、死なせるにしても、学術利用という言い回しが倫理的批判を受けにくい。↓2026/05/30
まんぼう
12
生物学的観点ではなく社会学的な観点から外来種や(在来種との)交雑種、害虫などの野生生物、野良猫の保護シェルター問題など広い範囲で「人間と生き物」の関係性と生死について考える本。その死に携わる人々の心と行動に主眼をおいている。駆除・保護・隔離、どれにしてもそこで右往左往する事を余儀なくされている人達がいるということはもっと知っていきたいと思う。共生共存とは何か?死で終わりなのか?死をコントロールすることの是非、人間を自然界の中でどのような位置付けにするのか?じゃあ食肉はどうなのか?本当に答えは2026/08/24
jackbdc
12
本書は、人間社会が望ましくない生き物をどう扱ってきたか、を社会学・倫理学・科学史の視点から読み解き、どんな生き物を価値あるものとみなし、どんな生き物を価値のないものとして外側に追いやるか決めているか、その法則を読み解き、生き物の扱い方は人間社会の価値観を映すという視点で書かれている。ネズミ、ゴキブリやブルーギルは価値がないと排除されるが、ハムスター、カブトムシやマグロは有益なモノとして大切にされる。判断において自然の摂理や倫理ではなく、制度・利便性・感情・経済がベースになるという事実に直面し多少動揺する。2026/02/07




