内容説明
大陸への野心をあらわにし始めた時代―「外地」と呼ばれた地域でも高校野球は盛んだった。戦前は「台湾」「朝鮮」「満洲」の代表が船で甲子園にやってきた。高校野球の草創期は「アジア雄飛」を夢見た日本人の軌跡と重なっている。だが、記憶は失われている。その欠落部分を埋めることによって、途切れた歴史の断片を繋ぎ合わせることができるだろう。そうすれば、日本文化の一端を担った「青春の汗」も感慨深いものになるのではないか。
目次
高校野球はなぜ大正時代に始まったのか
台湾野球の曙
朝鮮で満洲で、広がる球児たちの夢
昭和六年、台湾代表の嘉義農林が準優勝
黄金時代を迎えた朝鮮中等学校野球界
大陸球児たちに忍び寄る戦火
「遂げよ聖戦 興せよ東亜」―日中戦争下の甲子園
無念の中断と「幻の甲子園大会」
野球部解散、戦没する元球児たち
敗戦から立ち上がる外地の球児たち
著者等紹介
川西玲子[カワニシレイコ]
1954年生まれ。中央大学大学院法学研究科修士課程修了(政治学修士)。1985年、(財)日本システム開発研究所(財務省専管・当時)研究第一部・社会システム研究室に勤務するも、子育てとの両立が難しく退職。第四期・東京都女性問題協議会委員に就任。以後、東京学芸大学非常勤講師などを務めながら、一般市民目線から見た日本近代史をテーマに文筆活動に従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Hatann
10
約40年に亘る日本統治下の戦前外地(台湾・朝鮮・満州)の野球、特に約20年続いた中等学校優勝野球大会の広がりに着目する。米国から伝来したベースボールは、日本で野球となり、外地にも届いた。民族混成チームの活躍した台湾、内地人と外地人が分れた朝鮮、日本人のみの参加となった満州。野球の根付き方にも地域性があり、各地の日本統治や文化のあり方を象徴しているようだ。応援団の野次の様子や野球排撃論の影響にも触れ、取り巻く環境にも目配りしている。類書の少ない中、丹念に情報を集め、消えゆく歴史を文字化したことが素晴らしい。2023/12/10
白義
7
戦前の中等野球大会には、当時日本領土だった台湾や朝鮮でも予選が開かれ、内地人や現地人も含めた混成チーム、あるいは内地人だけ、現地人だけのチームもしのぎを削っていた。知られざる戦前外地の学生野球の姿の全貌を描いた一冊。同化と融和のイデオロギーや現地と内地の軋轢を反映しながらも白球に夢を託した球児たちの姿は今と変わらぬもので、それを振り回す歴史や国家の皮肉というものがその勇姿から逆によくわかる。やがて戦火の影により野球自体の弾圧が進み、学生野球自体も衰退をたどっていくが、満州でもギリギリまで大会はあったようだ2018/05/20
BLACK無糖好き
6
100年の歴史をほこる全国高等学校野球選手権大会、大正四年に始まった当時は全国中等学校優勝野球大会との名称だった。戦前には日本内地だけでなく台湾・朝鮮・満州といった外地からも各地区予選を勝ち抜いた代表校が甲子園で熱戦を繰り広げていた。本書はそれぞれ外地の球児たちに焦点を当てながら、当時の社会情勢、スポーツと軍国教育、日本とアジアの関わり合いを通した近代史の側面が鮮やかに描き出されている。日本高校野球連盟第三代会長の佐伯達夫氏の言葉が印象的でした「白球飛び交うところに平和あり」2015/09/01
Masakazu Fujino
2
大きく取り上げられることがなかった、戦前の台湾・朝鮮・満洲で行われていた中等学校野球。よく調べてあるし、とても興味深い内容で、台湾代表の嘉義農林が三民族(漢民族・アミ族・日本人)混成のチームで甲子園で準優勝した(1931年、映画「KANO」)話など知られざる話がたくさん。2015/05/08
槙
2
映画「KANO」で甲子園の開会式の場面に「大連中学」と「京城中学」が映ってるのを見て、台湾以外の外地の学校にも野球部があって甲子園を目指す選手がいたことに興味をもって読んだ本。2015/03/29